ブッパタール自閉症センター訪問

 

本日は、ダンスシアター「私の城」の大元になったブッパタール自閉症センターを訪問し、入居者のために演奏・ダンスしてきました。(ジャン・サスポータス、深堀絵梨、ヴォルフガング・ズッフナー、私)

思えば2015年10月にジャンと調査・インタビューで訪れました。センターの40周年記念にダンスシアターをやって欲しいとジャンに持ちかけ、ジャンから私に音楽を担当して欲しい、と持ちかけられました。

その時は、こんな風に展開するとは全く想像できませんでした。

翌年にリハーサルが始まり、あまりのストレスでかわかりませんが、緊急入院(薬をもらおうと病院に行ったらそのまま有無を言わさずに入院、カテーテル手術までやりました。孤独で辛い状況でした。)何とか初演を乗り切り、昨年は抗がん剤治療の合間をぬっての再演を乗りきり、DVDも製作され、今年は副作用に苛まれながらの再再演、しかも2ヶ所。

私自身の不具合の3年と同期しています。病を得て、さらに大きな病が発見され、一旦諦め、あらためて治療・手術・回復の3年でした。(まだまだ回復とは言えない状況です)その分、自閉症についての視点がだんだんと変わってきました。私のキャリアの全体を知る知人から「君のライフワークではなかろうか」と言われ、その時は判然としませんでしたが、今思うとその通りかもしれません。

そして本日、入居者の方々と再会。重度の方が多く、顔見知りも増えています。もちろん愛想笑いは通じませんが、ともかく友愛を示すべく笑顔を絶やさずに準備。アカデミズムの人達や、ダンサーが、自閉症の方と「普通の」方の「違い」を話題とし、ダンス振付の動機にしていますが、私は、「おなじ」部分に興味がありました。

今日もそういう視点で全体を見渡し、身を投げ出し演奏しました。

エンターテイメントとしてのダンスや音楽は初めから通じません。儀礼的な拍手や期待は一切無し。技術の開陳も、得意技も、カッコイイも、何の役にも立ちません。つくづくためされます。大いなるレッスンです。

私の中には、常に「彼らは全てわかっている、ただ、反応の仕方が違ったり、反対だったりするだけだ。自閉という閉じたものではなく、かえって閉じたいのだ。」という仮定があります。その仮定の部分は大きくなっています。

開けっぱなしになってしまっていて、閉じたいのだと仮定して全体を、焦点を合わさずに観ながら演奏。閉じることができて、自分の響きを感じることができれば、そこを基本に外との関係が築けるのかもしれない。

スタッフによると30分もこのようにじっと聴いていることは本当にめずらしい、とのこと。すこしずつ認めてくれているのかな、と希望的想像をし帰路ジャンと話しました。ジャンに特に親近感をもつ入居者の方が、「ほんの10㎝だけれど真似をして手を上げるんだよ、」私たちも続けなくてはねと。

発見は一方通行ではなく、双方向です。彼らの発見は私の発見。6月5日のボン公演ではどう違ってくるのか?

明日のグラードベックでのセッション(私の城メンバー)の段取をしながら、私たちは「次何だっけ?」と話ができますが、彼らは次はなく、毎日続きます。この3年間もそうでしたし、これからもそうなのでしょうが、ほんのすこしでも変化が何かの道しるべになるのかもしれないということを信じ続けようとおもいました。

ブルースです。

#JF