齋藤徹独り会 聞き手 小山創
私の病気のためのキャンセル・延期の仕事補てんをずっと続けています。
時間が経つと人も気持ちも場所も変わるものだということを教わります。無くなってしまった場所もいくつもありましたが、この会は場所を変更して実施。プロデュースも聞き手も小山創さんです。インタビュアーとして「今」の私を捉えるためでしょうか、このごろ多くのライブやワークショップに顔を出してくれています。その熱意に答えねばなりますまい。
おととしの段階では「今さら聞けない話」とか言っていましたが、今は、おちゃらける気持ちもなくなり、すこしでも良い時間にしたい気持ちです。
私のエポックになった話とソロ演奏を関連付けて、というご依頼ですので、いろいろ思い出しては試しています。あまりにうまくまとまってしまうともう「終わり」のような気がしますので要注意。インタビューでも自身の回想でも、ワークショップでも、何回か語っていることは、多少脚色されて「すべらないネタ」のようになってしまっています。
それだけではなかったはずです。その頃のさまざま揺れ動いていた気持ちをじっくり思い出しては伝えたいと思います。
学生を終える頃、言葉は嘘をつける、もう嘘はイヤだ、とアカデミズムから逃げ、ジャズやクラシックに憧れて楽器の練習を始めました。職業というよりは「生き方」としての無茶な選択でした。今や当時の勇気は信じられません。(当時就職は大変楽な時代でした。)
自分とは何か?自分でしかできない音楽は何か?をのみ追いかけていました。しかし、骨の髄に4ビートも8ビートもブルースも無いし、フリージャズの叫びも遠いことに気づき、そこから逃れる方法としてのインプロを見いだし、音楽より「音」に身を託しました。
もともと「音楽」好きだったので、ジャズもクラシックもタンゴも韓国伝統音楽も日本伝統音楽にものめり込む時期がありました。そののめり込み様は「朝から晩まで」でした。
自然の流れで楽器の練習も熱心に(無茶に)しました。自己流で始めても結局「本格」しかありません。それにすぐ気づいたのはラッキーだった。自分の正しさに対する「疑い」、権威に対する「疑い」、伝統と現代の類似点、歴史や天才達に対し熱い敬意を抱き、好きな音楽と演奏する音楽は違うのが当たり前、と考えてやってきました。
最もラッキーだったのがすばらしい人に会えたことです。すばらしい人に会える才能は自分ながらスゴイです。そのすばらしき人々は音楽だけではなく(音楽よりむしろ)、演劇、美術、ダンス、文学、映像、あらゆる方面に拡がっていました。身体性やポエジー、想像力の凄さ、やり続ける狂気、どうしようもなさ、まで見えました。
そして、3/11。歌作りを始め、大きな病を3つ経て、今に至っています。
こんな演奏曲目かな〜。もちろん現時点です。
タンゴ:コントラバヘアンド、ブエノスアイレスの秋
ブラジル:街、ケブラディーナ、あの頃
韓国:ストーンアウト、民謡、さまざまな長短
ジャズ:グッバイポークパイハット、ハイチの闘いの歌、ジャンゴ
クラシック:バッハ5番6番から
E♭チューニング奏法
ビーティックなどパーカッシブ奏法
横置き奏法
歌:ああセリム、看守さん、河の始まり、霧の中の風景、「うたをさがして」から。。。
そしてインプロ