タンスと皮袋

タンスと皮袋

お騒がせのコントラバス破損修理が終わりました。代々木の弦楽器工房高崎で見事にリペアしていただき、先ほど無事帰宅しました。副作用のためによろけたり、手がすべったりして、この2ヶ月弱で3回の修理をしてもらいました。修理できても、精神的にかなりダメージを受けます。自分のミスで傷つけてしまった、という罪の意識。楽器は金銭で買えるものではなく、たまたま幸運にもある期間私の手元にあり、その後またどなたかが引き継いでいくもの。私は今、預かっているというのが事実なのです。次の方に託すまでの預かっている間は気持ちを込めて大切にしなければならないのです。

連想するのが「身体」のことです。私のこの身体もたまたま幸運にもある期間私が預かっている大切な自然であり、「神」とも呼べるものかもしれません。こんな精緻なものを作ることは誰も出来ません。大きな病気をしてしまい、深い侵襲を与えてしまいました。大切にして、時が来れば、「自然」にお返ししなければならないのだな、としみじみ思いました。

楽器店でスゴイものを見ました。1年ほど前に高速道路で「走り屋」の無謀運転の巻き添えになり楽器は粉々に破損(コントラバスがあったおかげで大分、衝突のショックを吸収したとのこと)ご本人も何ヶ月か入院(走り屋は即死)。その楽器をジグソーパズルのように高崎さんご夫妻が1年かけて修理をし、つい先日、そのオールドイタリアンの楽器を引き取ったということ。スコット・ラ・ファロも交通事故で亡くなりましたが、その際、破損した楽器は修復され、現在も弾かれ続けています。

森田志保さんのフラメンコ公演でコントラバスアンサンブルの演奏をしたとき、ロマのすばらしい歌い手が「オレはこのタンスと演奏するのか?」と冗談とも本気ともつかない名せりふを残しました。そうなのです。この楽器は木の箱、言ってみればタンスと同じ。「物理的には大概修理可能なんですよ」と高崎さんもおっしゃいます。その木の箱に命を吹き込み、音を出し、音楽にしていくのはまた違う次元の話なのです。

有明癌研での手術直後の処置にもそう思わせるところがありました。人間は物理的には水が70%はいった皮袋で、口から肛門へ管が1本つながっているだけ。痛み止めはドンドン使う、カロリーメイトでもウイダーインゼリーでも何でも摂れるものは摂る、野菜など食べずに肉を食べる、と指示されたのです。まるで、逆のように思いましたが、手術直後の皮袋には栄養がともかく必要、ということなのでしょう。この皮袋に命を吹き込み、ものを考え、手足を動かし、仕事をし、詩を書き、芸術活動をするのはまた違う次元の話。

演奏家は気づくことですが、楽器はそれ自体が修繕能力があるのです。良い楽器であればあるほど、自分で治そうとする。下手に修行の足りない人が修理すると却って酷くなるのです。表面の板を外してしまうと全く楽器の性格が違ってしまう。よほどのことがない限り表板を外さないで修理するのが原則と言います。それは身体も同じ。大きな手術は一生で4回まで、ということがどこからともなく伝わっています。(まだ2回残っています。)

さてさて、気持ちも新たに!気をつけて!ゆっくりと丁寧に行きましょう。