庄﨑隆志さんは「ノンバーバルコミュニケーション」(言語を使わないコミュニケーション)の分野で注目され、大活動をし、その分野でのあらたな地平を切り開いています。
ここでは、「いずるば」ワークショップ的にそのことを考えてみましょう。
作曲家が五線譜に思いの丈を綴る時に、必ず漏れる、書き切らないものがあるでしょう。画家が絵を完成させたときに描ききらなかった何かがある。ダンスだって踊りきらなかった何かがあり、詩にも書けなかった感覚が残るのだと思います。
ある作曲家が委嘱作品を演奏後の沢井一恵さんに「私が本当に書きたかったのはこういう演奏です」と頭を下げたという話が好きです。彼女は、作曲家の意図、さらにはその意図が生まれる元を摑んで演奏してしまうのでしょう。それは譜面通りとは違うのです。
「五線譜に残されたもの、絵になったもの、詩になったもの、ダンスになったもの」は、「五線譜に書けなかったもの、絵に描けなかったもの、詩のコトバに捉えきらなかったもの、ダンスの動きに足りなかったもの」に支えられているのではないでしょうか。
それらに支えられているからこそ表現になる。それら現れなかったものの支えが希薄だったり、なかったりすると、とたんに表現は薄っぺらなものになる。
さらに言えば、書き得なかった数多のものこそが表現であって、たまたま現実(うつつ)にあらわれたものが「作品」として、代替とするのかもしれない。
やるつもりはなかったけれど、どうしようもなくこうなってしまったという即興演奏の訴える力は、アール・ブリューの訴える力と近い。
決して楽器や弦を叩きたくないという思いで、どうしようもなく叩いてしまう時の表現力は強い。それは、効果音として狙った音と振動数や音質は同じかもしれないが全く違うわけです。
ものまねや効果音や受け狙いがどうしても皮相になってしまうのは、そういう支えが脆弱だからでしょう。逆に、でてきたものがぞんざいにみえても、支えが盤石であれば、人を動かすものになるのです。
志ん生や海童道が舞台で寝てしまっていても、聴衆は充分楽しみ、ピカソの殴り書きに高額の値を付ける。
庄﨑隆志さんが言いたいことは身体に充満してあふれ出ています。たとえそれが「音声を持つコトバ」にならなくても、その支えとなる狂おしいほどの「願い」が伝えるチカラとなり、人を納得させ、感動させ、ともに居た人は「いま・ここ・わたしたち」を共有した幸福感に包まれるのでしょう。それは発見であり、自分自身の発見です。
☆~齋藤徹ワークショップ 特別ゲスト編 VOL.4 庄﨑隆志さんをお迎えして~☆
◆日にち 1月28日(日)
◆時間 : 13時~16時30分 (開場は12時30分)
※途中に1時間ほどの休憩を挟みます。
◆料金 : 予約3,500円 (当日4,000円)
◆会場 いずるば (大田区田園調布本町38−8)
◆予約・問い合わせ : Email: studio-info@izuruba.jp
電 話: 080-3584-3315 (諏訪)
◆アクセス◆
東急多摩川線「沼部駅」からお越しください。 右にクリーニング屋、左に薬局に
挟まれた道を、 道なりに「さくら坂」信号まで直進し、左折。2軒目のグレーの
建物の1階が「いずるば」です
※駐車場はありません。
皆さまのご来場をお待ちしております。
主催 : いずるば http://www.izuruba.jp/
(Travessia: http://travessiart.com)
担当 いずるば 諏訪洋子