たいようまで のぼったコンドル

高場さんの投稿をしたら、大阪の乾千恵さんから本が届きました。「たいようまで のぼったコンドル」
(乾千恵 文、秋野亥左牟 絵 福音館書店)のハードカバー版が出来たのです。おめでとうございます!素晴らしい本です。

この絵本は随分前にソフトカバーで出版されていて、ちょうどそのころ、千恵さんはブエノスアイレスへ行き、ピアソラのお墓参り、アメリータ・バルタールさんとの面会などがあったので、この本と「7つのピアソラ 乾千恵の画文集」(岩波書店)をもって行き、ピアソラ記念館などに贈呈してきたのです。その際、高場さんが「たいようまで のぼったコンドル」のスペイン語訳をあっと言う間に作ってくださいました。「これは友情ですので、お代は要りませんよ」との暖かな気持ちに打たれました。

千恵さん・高場さん・私は意気投合して、当時の流行り言葉をもじって「タンゴ三兄弟」と名乗って盛り上がっていました。千恵さんと私はもう一つバール・フィリップスさんとの三兄弟もあり、バールさん宅で千恵さんの誕生会をしたこともありましたね。)

千恵さんは体調不良で壮絶な生活を音楽(ピアソラやユパンキなどなど)を頼りに生き続けることを選択しました。音楽にはこういう力があるのだ、と私は深く感動しました。私自身がその境目を見ることになり、生き残って、副作用に悩むことになったのですが、千恵さんを思うと俄然勇気がわいてきます。凹んではいられません。「やることが出来るときは、やらねばならない!」と思うようになり、痺れや浮腫にめげずに活動を始めました。だって「やりたくてもどうしても出来ない人」が多く多くいらっしゃるのですから。その人達のためにも少しでもやるのだ、と思うようになったのです。

「たいようまで のぼったコンドル」の絵は秋野亥左牟さん。亡くなる直前にポレポレ坐で個展をやっていて、ジャン・サスポータスさんと鑑賞。お話も出来ました。この絵本のコラボレーションは本当に長い時間がかかったとのことです。まず、亥左牟さんは千恵さんのイメージを摑もうとアンデスに行き滞在。それからもお二人のやりとりは長く長く続きやっと完成したとのこと。コラボレーションというのは、出会い頭などではなく、じっくり丁寧に時間を掛けねばならないのだな、と教わりました。

「7つのピアソラ」出版記念では、ジャン・サスポータス(ダンス)とオリビエ・マヌーリ(バンドネオン)と私で日本ツアーをし、オペリータ「うたをさがして」にも繋がりました。(千恵さんがことばをかいてくださいました。)

Gracias a la vida!