うたをさがして 新たな章へ
311東北大震災・原発爆発はすべての人に問いかけました。私は「ベースアンサンブル弦311」をつくりDVD制作、国際ベーシスト協会コンベンション(@ロチェスター)に参加しました。また、避難所を訪れ(妊婦さん、新生児の集まった自主避難所にも行きました。)演奏したとき、「いま・ここで必要な音楽は歌と踊りだ(素晴らしい即興演奏ではない)」と強く感じ、歌作りを始めました。
いざ、歌作りを始めると最大の難関は「歌詞・ことば」でした。フォーク歌手をイメージして自分でも歌詞は書けるだろうと思っていたのが大きな間違い。全く出来ません。どうしよう?
では、今、最も「詩」を感じるものは?と探していくとギリシャの映画監督テオ・アンゲロプロスの映画の台詞でした。テオさん自身あるいは、イタリアの詩人・脚本家トニオ・グエッラさんの筆によるものでした。
それを元に一連の曲を作り演奏を始めました。(喜多直毅・さとうじゅんこさんとのトリオ)。たいへん充実した活動になりポレポレ坐でのLIVECD,むがさり唄CDもできました。
そんな中、乾千恵さんが東北大震災を題材にオペリータ(ちいさなオペラ。ピアソラ・フェレールのブエノスアイレスのマリアで作られた用語)「うたをさがして」を送ってきて下さいました。
あっと言う間に曲を書き上げ、ジャン・サスポータス(ダンス)、オリビエ・マヌーリ(バンドネオン)、さとうじゅんこ(歌)、松本泰子(歌)、喜多直毅(バイオリン)私(作曲・コントラバス)で上演。東京・京都・神戸・広島・岩国とツアーをし、京都大江能楽堂でのDVD,広島ゲバントハウスでのCD,およびマルメロ制作の3DVD付き冊子に結実しました。
その後、事情により活動中止。プラス、私の病気ということになり、私の歌作りは頓挫したようでしたが、病気の始まりのころから松本泰子さんが「きっと治ります。治ったらデュオをやってください」とずっと励まし続けてて下さいました。
そして、手術は成功。副作用の中ですが、活動もぼつぼつ再開しております。本当に幸運でした。
ではそろそろ泰子さんとのデュオを始めようということになりました。
さてさて、張りきって進めようと思うに付け、やはり立ちはだかる問題は「ことば」です。
病後の心の変化もあり「特に目新しいことを求めることは無い。材料も機会もすべてのことは、目の前に揃っているのだ」と思うようになりました。
身の回りにはコトバで生きている人がたくさんいるではありませんか。詩人でなくても演劇でも美術系でもコトバにこだわっている人達は多くいらっしゃいます。その人達に聞いてみよう、頼んでみよう、いや、一緒にやってもらおう、ということにします。有名も無名も全く関係ありません。
目の前にいる同時代者、そして、コトバで生きている人であれば良いのです。すべてご縁があるはずです。その縁に従って行けば良いのです。新規プロジェクトでスタッフ会議、ということではないのです。自然にしていれば、無限のように拡がるのではないかと思っています。
以前の「うたをさがしてトリオ」の最後のレパートリーが渡辺洋さんの「ふりかえるまなざし」でした。幼稚園・小学校と同窓で、家は徒歩1分以内のところに住んでいた詩人です。あろうことか、病気で亡くなってしまいました。
彼の最後の詩集の最後の詩が「ふりかえるまなざし」。全編ひらがなのやさしい詩でした。この詩から、ジャン・サスポータス、ウテ・フォルカー、ヴォルフガング・ズッフナー来日ツアー「もうひとつのインプロヴィゼーション」の基本アイディアもできあがりました。
そうです、前回の最後の歌から、「次」の歌プロジェクトが始まることは、実は用意されていたかのようです。
最初のお披露目は2月1日横濱エアジンになりました。ちょっと早すぎかな〜とも思いましたが、すべては神の決めたこと、従うのみ、として決定しました。新作と旧作全て私の作曲になります。
今回コトバを提供してくださるのは三角みづ紀さん、薦田愛さんです。素晴らしいスタートになりますね。たいへん恵まれています。薦田さんもずっと闘病を励まし続けて下さいました。
歌とコントラバスという地味なデュオです。それもまた良いではないですか。
是非、船出にお立ち会い下さいませ。