ひとつの歌

光栄にも国内ライブ年間ベストに選ばれた哲さんとのデュオについては演奏後日のFBで書きましたが少し補足・蛇足します。

ジャズなんてアタシにはできない、フォービートもブルースも大好きだけど、学んだものを演奏するだけだ、として「アタシはジャズじゃないよ」として、ジャズの現場から離れていることを謂わば存在理由にしていた時期が続いていました。

しかし、この何年か、いろいろな演奏の場に立ち会ってまわりを見渡すと、私が1番ジャズに詳しく、経験もあり、そして「ジャズ的」という、思ってもみなかった現実に直面。れれっ、という感じです。

また、昨年11月の入院以来、何の因果かジャズを聴きたくなってジェリーロールモートンからウイントン・マルサリスまで随分と聴きました。ネットで気軽に聴けたり、著作権切れの安価なCDがでていたり、重病人特権を乱用して購入したり、網羅できる歴史(しかない)をある程度網羅した感じがあります。高校生の頃から昼食代を浮かせて中古盤を漁ったり、売ったり買ったりした頃が懐かしいです。住居や学校があった新宿が拠点で、トガワ、オザワ、帝都無線(スゴイ名前だ)、渋谷、高田馬場などなど。

聴いたものが身体に入っているのでしょう。しかも40年以上。(途中、ブラジル・韓国・アルゼンチン・日本・西洋・現代音楽に入れ込んでジャズを全く聴かない時期がありましたが。)生命の危機に直面して、私の身体を作っていたものを再確認、先祖返り、いや、ただ懐かしがりたかった?のでしょうか。

齊藤聡さんのご指摘のようにギル・エバンス、マイルス・デイビスのスケッチオブスペインから「サエタ」を引用したり、サマータイムが出てきたりのライブでした。その気はまったくありませんでしたが。

ギル・エバンスは本当によく世界中の音楽を聴いていたのだなと思います。スケッチオブスペインはアランフェス協奏曲(ロドリーゴ)で有名ですが、私は手にしたときからB面が好きでした。(ロドリーゴさんのドゥエンデ・狂気は後に知るようになります。スゴイ。)

サエタを選んだギルさん。サエタの実際を知ったのは2年ほど前。新たな共演者となった森田志保さん(フラメンコ)の公演で使ったのです。ディエゴ・ゴメスさんはすばらしい歌い手です。「わたしはフラメンコオタクです、どうぞよろしくおねがいも〜しあげます」とご自身が日本語で言うように、サエタの実際、サエタ・デル・シレンシオも教えていただきました。森田志保京都公演ではディエゴ・直毅・私でグラシアス・ア・ラ・ヴィーダもやりましたね。

志保さんは選りすぐりのロマを共演に選びますがディエゴさんはロマではありません。こういう人が必要なのです。韓国巫族(シャーマン)との繋ぎ役として調査・研究・演奏をした鄭喆祺(チョンチュルギ)さん、一般人からムーダンになった(ならざるをえなかった)珍島の金大禮(キムデレ)を連想します。

ギル・エバンス、マイルス・デイビスの共作アルバムで1番語られることの少ない「Quiet Nights」収録の「Song No.2」というのは、マイルス・ギルの作品となっています。実は、ブラジルのフォークソング「プレンダ・ミーニャ」です。カエターノ・ヴェローゾがアルバムを作り大ヒットして一躍世界中で知られるようになりました。ドミンギーニョス(素晴らしいアコーディオン)とヤマンドゥ・コスタのデュオでも歌われていたブラジルの地方の音楽です。

カエターノはこのCD、DVDを作るに当たってマイルス・デイビスの影を偲ばせました。DVDにはそれらしいシルエットさえたり、マイルス風のミュートトランペットをフィーチャーしたりしています。ミルトン・ナシメントがポール・マッカートニー、ジョン・レノンの名前を引用してミナス・ジェラエスを讃えたように、カエターノはマイルスを語ったのかもしれません。

ともかく、ギルは本当によく世界中の音楽を聴いていたのですね。自分のアイドルをルイ・アームストロングと何回も言っているようにジャズ本流・ど真ん中。

松本泰子さんによると、古賀政男さんはアラブ音楽に精通していたそうです。(タンゴにも精通していたことは聞いていました。)できるだけ多くの音楽を聴き、愛し、その先に、彼の身体を通って「影を慕いて」「酒は涙か溜め息か」が出てきたのです。

人は人生でひとつの歌が歌えれば良いと言いますし、実際そう思いますが、数多の音楽や経験を経てこその「ひとつの歌」になるのでしょう。即興にしてもしかり。欧米の音大の「即興科」が大学ではなく大学院にあることと通じます。

私の身体に存在している「ジャズ」は、さまざまな人と触れることで、「ん、呼んだ?」といそいそと出てくるのかもしれません。呼ばれ無くても、呼ばれた振りをしてでてきたりして ハハハ。