不在の在

MLTトリオツアーを来日ミュージシャンによる年間ベストライブに挙げてもらい(齊藤聡さん)矢も楯もたまらず思い出を書いてみます。国内外、おそらく年間100を優に上回るライブに(自腹で)行き、何百というCD(自腹)を聴き、美術展・講演会へ通い、万巻の書を読み、B級グルメも愛する彼の選ですので誇り高いです。

 

#07 齋藤徹×長沢哲

#08 MLTトリオ

この1年の私はいわば「ドラマティックな」時間を送っています。庄﨑隆志さん曰く「演じる権利」(松山善三さんにもらったアドバイスだそうです)にも関わりますが、「齋藤徹」という役をもらってそれを演じ続けてきて、降板の危機になると、その「役」が真に問われます。その役を充分把握しているか?わかったつもりでいないか?自分の殻に閉じ込めていないか?思いもしない展開を疎外していないか?

7月のMLTトリオツアーは、またとない1章になりました。現在、最も大事な共演者・友人の2人の来日(彼らのデュオ結成30周年記念ワールドツアーの一環)ですから、私は医師と充分に相談し、手術を8月に想定して、ツアーを実施することにしました。

私のいままでの最善の人間関係と、将来へ希望を繋ぐ可能性に賭けてベストブッキング(共演者・場所・聴衆)をしました。どうだい?今までの私の経験・関係をまるごと詰め込んだようで、素晴らしいだろう?と誠に誇らしい企画ができ、フライヤの印刷も出来ました。このツアー実施を最高の「音楽療法」として免疫をアップして手術に臨むのだという筋書きでした。

あに図らんや、病巣が活発になってきていることが発覚。「予定を変更して1日でも早く手術を」という医師団の意見に、1日考えた末に従いました。この医師団は、私の活動に大いなる理解をもってくれています。5月の渡独、タンツテアター上演も応援してくれていて、なんとか実行できるように、抗がん剤治療のインターバルを綿密に練ってくれ実施、大成功でした。

そんな彼らのアドバイスです。ツアー実施できないことは本当に辛いことでしたが、粛粛と従いました。なにせ半年前の他の病院での手術では開腹したのですが、処置できないという判断で、余生を最後まで食べることができるように胃のバイパスを付けただけで閉腹していたのです。

さて、山のような事務開始です。

まず、ミッシェル、ニンが、「徹ができないのなら行かない、意味がない」と言ってきました。私としては、デュオツアーとしてなんとか実施してほしい、日本のファンがたくさん待っているよ、是非是非予定通り来てください、と何回もメールをしてやっとのことで納得してもらいました。前回のツアーでもずっと同行した我が娘が私の代わりにマネージング・運転・諸々の世話をしますよ、信頼できるスタッフも続続と集まっています、どうか私のためにと思って来てください、というベタな殺し文句が心変わりの大いなる要因にもなったようです。

私が参加しないということでのキャンセルは1箇所のみ。他の各地プロデューサーは私の意思を十二分に分かってくれ予定通りに実行するよ、まかしとき、と力強く応援してくれました。本当に嬉しかった。私の宝です。

ツアーをつくるのは出演者・プロデューサー・スタッフは完全に同格なのだということを再確認しました。私はモルヒネで痛みを抑え、腹水が急に飛び出す病床でしたが、ツアーオーガナイザーとして実際に参加していました。

8時間の手術が終わり(とは言っても全身麻酔の私にとっては一瞬です)10本近いドレーンを身体中に装着し、酸素ボンベで呼吸しながらICUに2泊。1泊目、ICU病棟では真夜中、明け方の緊急手術がいくつも入り、戦争状態の医師団・看護師団・患者家族の怒号・哀しみの中、ほとんど眠れない夜を過ごしました。(自分が緊急手術中なのか、隣のベッドで休んでいるのか、差は全くありません。)

翌日、自分では1㍉も動けないので大きな時計が見える位置に移動してもらい(眼鏡も無し)、薄目にして焦点を調整し、ミッシェル・ニンの羽田着・我が家着をシミュレーションしました。

かつてアストル・ピアソラの作品集第2弾を作ったときに「ausencias」(不在)というアルバムタイトルにしました。アストルさんの不在をどう演奏するか?がテーマでした。実はアウセンシャスというタイトルのピアソラ作品があり、(「タンゴ・ガルデルの亡命」という映画音楽)私はとても惹かれ、高柳昌行さんと演奏したことがありましたが、このCDでは演奏していません。

世の浮ついたピアソラブームを横目で見ながら、彼の不在をこそ演奏したいという意思を分かってくれたプロデュースのジャバラの森田さんは、実際のピアソラの舞台写真(岡部好さん)(バンドネオンのみが写っている)を用意してくれました。

私の不在(の在)は、デュオツアーにどう影響しているのか?を手掛かりとして「いずるば」ワークショップの対談を始めました。この対談をなんとか実践したいと心の底から思い、それが天に通じました。肝胆膵切除手術後の退院期間の最短記録を塗り替えて2週間で退院。翌日、なんとSpace Whoで「影の時」演奏(ミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニン、沢井一恵、今井和雄、私)。これは今もって、どうして実現できたのかわかりません。演奏後じっと横になり、家に帰って調子が悪くなり「これは病院に逆戻りかも」と頭をよぎりました。

天が味方をしてくれ、そのまま家で回復を待つことになり、翌日念願の「いずるば」ワークショップゲスト回第一弾ミッシェル・ニンの会の対談まで漕ぎ着けました。前日の共演があるかないかでこの対談はまったくちがうものになっていたでしょう。とてもすばらしい対談ができたので、Space Whoでの「無茶な」演奏は十二分に報われました。

狭い我が家の中でミッシェルもニンも宿泊中。顔を合わせることもほとんどなくツアーは続行し、二人共の大いなる満足の中、無事帰国しました。

私はツアーに同行していたのです。この奇跡のような3週間は一生忘れられないものでしょう。そして先につながるはずです。