ブルース

いつもと違う「大つごもり」です。

そうか、術後の10回余のLIVEでの音、数回のワークショップでの経験、新たな企画のための新曲は存在しなかったかもしれない、と思うと「そんなものなのよね(有っても無くても地球は回り時間は進む)」と同時に「だからこそ貴重なんだよね」です。

二つの事を学びました。

こう弾きたいのに弾けない、ああ弾きたいのにこんなになっちゃった、という個人の事情をよそに、「前より良い」と言う人。技術・表現って何?

やることができる状態・条件にあったら、ともかくやらなければイケナイ。やりたくても出来ない状況を思えば、やらなければ罪。(繋がらないという罪状)

美は乱調にあり、階調は偽りなり(生の拡充 大杉栄)。ビールはランチョンにあり(徹)

WSのテーマの1つ「トンネル掃除」。トンネルの形状が個性、と言いきるには躊躇があります。いくら掃除してもしきれないものもあります。少なくとも箒の跡であり、雑巾の絞り汁であり、はついて回ります。どうしようもない「あの感じ」。

志ん生独特のくすぐりで「上げ潮のゴミ」。
上げ潮のゴミは、スーッと流れたいのにいろいろなものに引っかかっちゃうんだ、ゴミの了見も知らないで批難するな、と。

このところ、足許不安定で、二台とも楽器を倒してしまい修理の心労とやるせなさの連鎖、ちょっとブルーです。

ブルース、ブルー、藍(我が国では藍染めは被差別の仕事だった)。綿花畑の奴隷労働(アメリカ南部)、サトウキビ畑(奄美)から生まれたうた、酒場・売春宿から生まれたうた(タンゴだってそうだ)。大地や人々から生まれたうたのみが持つチカラ。さらに言えば、存在を左右することを経なければ得られない味・チカラ。膨大な力に翻弄され、戦場で屑のように殺され、無念の中で津波にのまれ。

どうあがいてもどうにもならない、時間が過ぎるのを待つ・耐えるのみ、という経験のみがうみだす表現。「諦め」が最後に昇華する想像力。「人間だもの」と気楽には言えまい。落語とは「業の肯定」と談志は書いた(三一書房)。

ブルーノートは、西洋音楽の言うハーモニーにならない音。それは微妙にずれた音達。そのズレは一致したい願望でもあり、一致したくない決意でもある。微妙であればあるほど「うなり」を生じ、それがビブラートになる。琴線。

ビブラートは振動・摩擦。揺れは、動きの基本になる。揺れ幅、振れ幅を拡げたい意思・欲求の元は、限界を見る、境界を確かめること、すなわち、自分の居場所を確かめること。さらに言えば、私は誰なのか?を知りたいという要求。

矛盾をそのまま受け入れる。

歌い踊り続けなければ。生きている限り。

I gotta right to sing the blues.