いつのころからかFBで何年か前のその日こうでした、とか、誰と繋がりました、などを本人にのみ提示するシステムになっています。それをシェアすると再びその項目がその場に掲載されます。頼みもしないのに何かおせっかいだな〜と思うことが多いですが、ドキッとすることもたま〜にあります。
昨年の今日は、鎖骨下に抗がん剤点滴用のポートを装着する手術の日。1回の点滴におよそ46時間かかるので、点滴の安定を計り、自宅で過ごすことを可能にするため、身体の中に点滴用の台座を埋め込むのです。現在、まだ、外していません。(ふたたび使う事の無いように祈るばかりですが、そんな時のために取り外していないというのも事実なのでしょう。身の危険の少ない手術とはいえ手術は手術。侵襲はあります。)
「もうなすすべがありません。余生をユックリお過ごしください、最後までちゃんと食べることが出来るように胃にバイパスを付けておきましたよ。」と言われ、何事が起こっているのかを頭も心も理解しないままいると、周囲の多くの天使・八百ろずの神々がキチンと理性的に処理をしてくれてセカンドオピニオン、転院を準備・設定してくれました。その流れに乗ることが出来て今こうしています。
その流れで、有明に出かける朝は季節外れ(数十年ぶり)の雪が降りはじめ、なんともドラマティックな第2幕の始まりでした。
一昨年の今日は、ヨーロッパ渡航費の為の助成金申請、「うたをさがしてトリオ」のツアーブッキングに追われていたようです。申請の上手な慣れた事務所・辣腕スタッフがいるわけでもないので、ただただ事実を書き、思いの丈を書くのです。どれだけこの渡航費が必要であるか、どれだけこの仕事を重要に思っているかを書くわけです。助成してもらうと、報告書も正直に事実を書き、どれだけ助かったかも書きます。サーベイシートという受け入れ側の感想も嘘・偽り・大げさ無しにキチンと書いてもらいます。
助成金が降りない場合も想定しつつ、スケジュールを組むのも大仕事になります。仕事の内容以外に、複数の国にまたがること、回数が多いことなども選抜の基準になると書かれているので、出来る範囲でそれも組み込みます。
渡航費の助成があるかないかで、数回(以上)の仕事の報酬が無くなるかどうかの瀬戸際なのです。この差は大きい。最近のミュージシャンは、ちゃんと他の仕事をしながら、という人も増えてきているようですが、私は古い世代に属していて他の仕事はしていないので赤字はだせません。
それに対し、たとえばフランスのインプロバイザーは、アンテルミッタンという制度もあり、いずれかのアソシアシオンに属していて、沢山仕事をして沢山のお客さんに聴いてもらうと比例して報酬がアップするという資本主義の原理原則からもある程度「自由」のようです。そして、山のような事務、連絡、ブッキング、報告書、ほとんどノータッチ。
この差は目が眩むほど大きい。「自由」な分、彼らは自分の音に対して全責任を持ちます。事務が多忙で練習も訓練もできなかったとは言えません。音を出して生きていることに誇りをもって社会の中で生きていくわけです。
2013年はヤナエル・プリュメ(コンタクトダンス)来日の世話。2012年は庄﨑隆志・南雲麻衣さんとの「牡丹と馬
」ポレポレ公演準備。
こうやってギリギリとホソボソと生きてきて、大病を抱え込み、命を助けていただき繋がって、こうやって生きています。このまま続くのでしょうか?
同じことができることだけでも奇跡でしょう、また同時に、同じ事をすると同じになってしまうのではないか、大きく変わる時ではないのか?暴れ続ける浮腫と痺れを抱えて、大きく揺れ動く寒空です。