明日はレギュラーWS再開

明日のレギュラーWSは、「仕切り直し」のような感覚があります。私の手術があったし、ゲスト会が2回実施されたりしました。ジャンの回では、参加者全員が踊り出すという「奇跡」まで現出しました。

仕切り直しに合わせたように、竹製の手作り一弦琴も用意されました。スタッフが竹林へ行き作ってくれたものです。この一弦琴を1つの手がかりとして、いろいろな話へ進んでいくことでしょう。

いつまでも続くというのも、良くありませんので、来年4月を一応の区切とします。

いままで来られなかった人も、表現活動をしていない人も、だれでもウェルカムです。

いままでのあらすじ (齋藤徹)

ワークショップというものに縁の薄かった私が敢えてやってみたいと思ったのは、病気が原因だったかもしれません。一回目の手術をした時、手がつけられないということで閉腹。余生をゆっくり過ごしてくださいね、と言われました。何か言い残したい事があるかも、と頭をよぎったのです。言い残すことなんてあるわけ無いでしょ、とどこかで思いつつも、内容ではなく、ともかく、いま・ここで、人に繋がりたいという気持ちがあったのでしょう。

心優しく、心強いスタッフが集まってくれ、「いずるば」という理想的なスペースも自由に使うことが出来、体調の悪い中ばかりでしたが、全てに甘えて続けることができています。病気の方は、セカンドオピニオンによって光明が見え、半年間の化学治療、外科手術成功、回復期と進んできました。このワークショップと並行して闘病が続いています。両者は切り離せないものなのでしょう。

何が求められているのかを知るために準備会からはじまりました。言いたいことはたくさんありました。しかし、それをいくらうまく喋ることができることよりも、集まってくれた人たちとのその場でのトークによっての質疑応答や、脱線からの話のほうがよっぽどリアリティがあり、面白いものでした。

言いたいことを周到に準備して上手く語るより、その場のリアリティに叶うものはないという教えは確実でした。言いたいことがいくらオリジナリティやインスピレーションに溢れていても関係ない。逆に、充実して、とても盛り上がった話は、いかに、つまらない話でもOKでした。私が身をその場に投げ出していればいるほどリアリティは増していきました。即興の実演でも、直後に「振り返り」の時間を設けて、今のはどうだった?あれはどういうつもり?とかのホカホカの情報による受け答えにまさる情報はありませんでした。

音って何なのか?音楽は?即興は?共鳴は?共振は?効果とは?など「そもそも」の話を基にして飛躍しながらも進んできています。音を意識した生活からなにが見つかるか?の実践、ポジティブに生きる方法へのヒントをボンヤリとした目標にしています。方法として、AかBの取捨選択や、AとBの差や隙間にあるものを探すというよりは、AとBという矛盾したものを2つながら得るにはどうすればいいのか、というイメージがだんだん強くなってきています。

現在2回終了したゲスト会では、ミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニン、ジャン・サスポータスという三人のフランス人即興ミュージシャンとダンサーが来てくれました。三人とも日本ツアーのホカホカの経験をもとに対談をしました。第一回目は私の退院の2日後で(しかも、術後2週間目、病院での退院最短記録)ふらふらでしたが、なんとしてもやりたかったので実現できました。進行中のツアーからの話は説得力があります。

私のそんな「無理」は有効でした。いろいろなものが繋がってきています。現在、即興に関する話題がとても新鮮です。即興とは音楽やダンスや美術の先端的・専門的な話題ではなく、すべての人の日常に通底していて「どんな状況でも、すこしでもなんとかして行こう」という行為であること、即興において大事なのは「自分」「個人」を無くして出てくるものへの眼差しがどこにあるのか、というところまで来てます。