シアターχ 終了

庄﨑隆志はどこにいる?

彼は、地理的に日本各地を飛び回っているだけではなく、内容が予想できない動きもしているのです。予想できないところが本当の「魅力」ですよね。

真っ黒な手帖が示すのは、世の中が彼を求めている、必要としている、彼に代わる人の居ない証。手話甲子園、さまざまな施設、テレビでの講演・演技、舞台作りのワークショップなどなど。つい最近、熊本で40年間笑ったことのない人を笑わせた、とのことです。

それに加えて、ご自分での企画も着々と進めています。

私が係わった始まりが「牡丹と馬」遠野物語でした。南雲真衣さんと榎本さんとの四人の舞台でしたが、衝撃的な舞台でした。その後、アントナン・アルトーものや、宮沢賢治もの、Eテレ「みんなの手話」でのコント3本、などなど、そして今回の北斎です。思えば、いずれも現実世界をはみ出してしまった人たちや内容でした。響き合うのでしょうね。

私が隆志さんをお呼びしたのは、大変相性の良いジャン・サスポータス(ダンサー)とのセッションが数回、セバスチャン・グラムス、イサベル・デュトア、ヴォルフガング・ズッフナー、ウテ・フォルカー、などのヨーロッパのミュージシャン、ダウン症のダンサー矢萩竜太郎さんとのセッション、コントラバス8本とのセッション、能の小鼓方(大蔵流)の久田舜一郎さんとのセッションなどでした。いずれも渾身の身体表現・ダンスでした。

本年7月には、私が自身でプロデュースしながら、入院・手術で出演できなくなり、キャンセルが危ぶまれたミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニンとのセッションには矢萩竜太郎さんとキッチリとやっていただきました。(大好評でした。ありがとうございました!)

さて北斎。

昨年の第1回目の手術の直前に西荻で宮沢賢治を題材として共演、転院、治療、第2回目手術、退院を経て2ヶ月、今回の北斎です。第2回目手術直前にも見舞にきて励ましてくれました。

数多くの障がい者・病人たちの闘病や挫折、理不尽な差別、多くの生と死を知っているであろう隆志さんとしては、私の病気はその中の一つでしょう。(であるからこそ)「大丈夫Tシャツ」を描いてくれ純粋に励ましてくれたのでしょう。ありがとうございました!

今回のためにいくつか曲を書きましたが、予想外の事がありました。覚えきれない曲があるので譜面を用意しましたが、手の痺れで譜面がめくれないのです。少し焦りましたが、目の前で即興的に集中して演技している隆志さんを見、即興的に対応しました。それで良いのです。いや、それが良かったのでしょう。

120畳の紙に達磨を描くというシーンでは、彼の呼吸が共振・共鳴しコントラバスと同期しました。近松の道行・心中シーンでは、コントラバスを極太棹三味線として、ベークライト板の撥で弾きました。そこにあるべき音がそのままどんどん出てくる感覚でした。そのように、さまざまな偶然が必然のように起り続けます。「活きている」舞台の空気をそのまま吸っていれば良いという状態でした。

私がいずるばのワークショップで扱っているテーマの一つ「無絃琴」をそのまま演技するシーンもあり、ビックリ。大変効果的な音をだす巨大なスプリングの乱打、「きこえない」役者が極めて音楽的なシーンをやるという舞台。それに対応する私は何をする?

来年1月の「いずるば」ワークショップでお聞きしたいことがどんどん増えていきます。