先程もよりのJR駅までジャンさんを送りに行きました。これから大阪~京都~犬山〜信濃大町〜長野市というWSツアーです。(信濃大町では原始感覚美術祭の中でのWSと9月3日には私とのデュオがあります。)私は犬山で合流して、以後同一行動です。
退院翌日のSpace Whoで演奏したことはまるで奇跡のようです。今は、手足の痺れと浮腫みで四苦八苦の日々です。考えてみれば、キャン(という毒)と抗キャン剤(という毒)との戦いだったわけで、抗キャン剤がキャンに勝ったわけです。それだけ強いクスリですので、このくらいの副作用は当たり前と言えば当たり前。
私は、現代西洋医学の標準治療+手術を行ったわけですが、入院中、野口晴哉さんの身体と病気・健康の考え方(哲学)や安保徹さんの全生命史におけるキャンの意味などに強く共鳴するようになっていました。実際に行っている治療と考え方が見事に矛盾していたわけです。かといって病院治療を止めるという選択は無く、日々が流れていきました。思考停止だったのでしょうか?判断放棄だったのでしょうか?
ともかく信じた方法を疑わない、直感を信じるということは底流にあった気がします。
日に日に、演奏の日(9月3日)が近付いています。この身体でどのように対処・演奏するか?大きな問題です。以前だったら、困った困った、とあたふたしていたでしょうが、今は、成るようになる、成るようにしか成らない、let it be。コントロールの効かない身体の状態での演奏なんて望んでも得られるものではないので、真摯に身体と環境に向き合い、大いに学ぶしかないと思っています。自分が何をするか?何が出てくるのか?に耳を傾けます。
「上手い」ことに頼らないでの演奏とは?上手い・下手・効果・本質・伝わることは何なのだろう?本質的な疑問に立ち返らざるを得ません。本当のチャンスなのです。
ドイツでのタンツテアター「私の城」の音楽制作にあたって自閉症理解に大いに役立ったのは、東田直毅さんの著作やドキュメントでした。彼は特別なのだと思っていましたが、カリフォルニアのイド・ケダーさんが同じように文字盤をつかいコミュニケートできたという本に出会いました。「自閉症のぼくが「ありがとう」を言えるまで」イド・ケダー著 入江真佐子訳(飛鳥新社)
ブッパタールの自閉症施設でのインタビューなどによって「彼等は何でも分っていて、その反応の仕方が思うように行かないだけなのかもしれない」という想像力を得ました。なんでも分っているのに、反応ができない、あるいは正反対の反応をしてしまうためだけに、知恵遅れと判断されるとしたらどれだけ苦痛だろうか?東田直毅さんやイド・ケダーさんが例外ではないとしたら・・・・
現在の私は、思ったようにキーボード入力ができない、ボタンが掛けられない、箸が持てない、そして楽器で思った音が全くでないわけです。この状態を想像力で拡大した状態が自閉症と呼ばれる人たちの状態なのかも知れない!と思い至ります。急に近く感じます。
かつて、劇団「態変」の方と話をしていて「齋藤さん、障害とは、症状の軽い・重いではないのです」といわれたことも有り難く思いだしています。
そういうことも意識した上で精一杯の演奏ができればと心より願います。
そういう私と無関係にゴーヤはすくすくと育っています。