侵襲・寛解

侵襲・寛解

この病気のおかげで「侵襲」「寛解」という言葉を知りました。

侵襲とは、

医学で、生体の内部環境の恒常性を乱す可能性がある刺激全般をいう。投薬・注射・手術などの医療行為や、外傷・骨折・感染症などが含まれる。英語では invasion(侵略)にあたるそうです。

興味深い言葉です。病気とか、健康とかの範疇ではなく、身体にどういうことをしたか、どう影響したかということを扱っています。身体という自然に、ヒトが何をしたのか?

私がこの半年に体験した侵襲は、半年の化学療法、8時間の手術、たいへんキツいものでした。身体という自然にとって際どいほどのものだったのです。

患部が切り取られたのに、現在は、半年の化学療法の蓄積された副作用に悩まされています。酷くなっていく傾向さえ有ります。

まずその認識をしっかりと持たねば成りません。

手術に関していえば、その8時間の記憶・実感が一番無い(全く無い)のが「私自身」なのです。なにしろ全身麻酔であっという間に仮死状態だったのですから。医師・看護師たちは私の身体を8時間注視し、観察し、救おうとしてくれ、家族・知人たちは時計を見ながら8時間という間、ハラハラドキドキし続けたのです。私は目が覚めたらICUに居て口には酸素、体中に数本のチューブ、何の記憶もありません。

大成功の手術だからといって早期回復を望み、元の生活へ戻ることを指折り待つのは、なにか決定的に「違い」ます。

その侵襲の深さを想像力で少しでも補い、決して無理をせずに、各方面への感謝とともに日々少しずつでも回復し、新たな人生を思い描き、残りの時間から逆算してどう私の生が貢献できるのかを真剣に刻まねば成らないのです。

もうひとつの「寛解」と言う言葉。

キャンサーや鬱の場合、治った状態を「治癒」「完治」という言葉を使わずに「寛解」と言うそうです。完治というのはありえない、という意味を宿しています。これも病気・健康という概念を越えた言葉です。寛く(ひろく、ゆたかに、くつろいで)解ける。

自分の経験したこの一年をジックリと味わい、手術が成功したからといって決して浮かれずに、じっと回復を待つ間にもっともっと深めねばと思います。

ときどき湾岸高速から入院していた病院を見ます。今日も明日も病室の天井を見ながら多くの人が戦っているのだと思うと、とても、自分は寛解してよかった、退院できてうれしいと浮かれることはできません。

この病気はニンゲンにとって何なのか?そもそも病気とは何なのか?考えざるを得ません。

なかなか調子の出ない日々は、そのように考えるために与えられた時間なのでしょう。ありがとうございます。