アニバル・トロイロ作のタンゴ屈指の名曲に「toda mi vida」(我が人生のすべて)があります。プグリエーセもゴジェネチェも名録音を残しています。なんとまあ大袈裟なタイトルとも感じますが、これが良いのです。マリオ・ジャコメリ(イタリアの写真家)にも同名の著作があります。かくいう私も還暦記念リサイタルlive録音の際、バッハが破綻してしまい即興に変更したタイトルにこの名前をお借りしました。
私とミッシェルを出会わせてくれたのはバール・フィリップスさんです。1994年ナンシーミュージックアクシオン祭でした。バール、ミッシェル、アラン・ジュール、沢井一恵、齋藤徹という「5thシーズン」というグループを作ってフランス・スイスツアーをしました。
私が今回退院をして、自宅ベッドで休んでいたときにバール・フィリップスさんから電話がありました。退院手続きの間にバールさんに退院報告メールをしていました。
同じ誕生日、同じ病(彼は一足先に寛解)のバールさんは私の病状を人一倍心配をしていて下さいました。私の退院を祝った喜びのメッセージだったのです。本当に嬉しかったです。彼の復帰後最初の旅行は私と一緒にリヨンの楽器作者ジャン・オーレさんの所へ行って、私がトラベルベースを手に入れた時でした。
彼は、自宅(1000年前の教会)をヨーロッパの即興のセンターにするというプロジェクト真っ最中で、8月初めには大きなレジデンス型のWSを催します。
帰国後のミッシェル・ドネダはこの企画に参加。サン・フィロメン教会に行くと言うこと。(そこでテツの話をゆっくりしてくるよ、とのことでした。)
私は何回も訪れました。最初はアヴィニョンのベースフェスの時で、吉沢元治さん、溝入敬三さんもバートラム・ツレッキーさんもご一緒でした。
ドイツ・ブッパタールにあるliveスペース「ORT」は、ベーシスト・ペーター・コバルトの自宅でした。そして今度はバール・フィリップスさんが自宅をすべて開放して即興のセンターにするというのです。プジョービルという小さな町の行政も全面協力。
所有財産をすべて音楽に、即興に捧げるのです。自宅に山のようにあった貴重な資料は、すでにニースの図書館がかなりの部分をアーカイブしています。
人間、本来どこにも帰るところなどはないのです。良いパスがきたらよりよいパスにして回す。その繰り返しこそが文化を磨いていくのでしょう。
TODA MI VIDA