現時点で私のだしたCDで断トツに売れているのがピアソラのカバーCD「アウセンシャス」です。ジャバラレーベルなのですが、一時期はキング(王様レーベル)が販売していました。ピアソラが音楽を担当した映画「タンゴ・ガルデルの亡命」で、「アウセンシャス」という曲がありますが、私のCDではその曲をやっているわけではありません。
アウセンシャス=不在という意味です。私は、ピアソラの不在を「不在が在る」という視点で捉えたかったのです。ジャケットの写真にもピアソラのバンドネオンだけが写っています。
世の中が猫も杓子もピアソラ、ピアソラで大ブームなのですが、何か決定的に大事な物が足りない、見過ごされていると思ったのです。それが最大の動機でした。そしてそういう選曲をしてそういう演奏をしたつもりです。
今回のミッシェル・ニンツアーには、私が参加できない、という決定的事実がありますが、「私の不在が在る」という風に捉えてみることができるのか?そんなに大きな存在ではないことは分っていますが、そんな視点で考えることが出切るのか?
病院の天井を見ながら妄想に耽りたいと思っています。
さて、昨日、手術前最後のライブをしました。樋口順康プロデュース@OTTO2、デュオwithマクイーン時田深山(十七絃)でした。私を心配してか、多くの方が詰めかけてくれました。大変嬉しかったです。「いずるば」ワークショップに参加してくれている方も多く、そのことも何か勇気づけてくれました。
痺れて感覚の無くなった指で、ボタンを掛けるのにも三倍も四倍も時間がかかり、箸も満足に扱えず、ものは落とすし壊す、ふらつく脚で柱に寄りかかってやっと立っている状態でしたが、前半・後半とも演奏できました。
実際は、やりたいのに出来ないフレーズや奏法ばかりでした。最初はイライラもしましたが、しかし、これを楽しまねば、と思い直しその場に立ち演奏を続けました。
私を突き動かしていたのは、音であり、音楽であり、共演者であり、聴衆の気でした。私自身ではありませんでした。それは本当に明らかでした。そうでなければ最後まで演奏ができる状態ではありませんでした。
また、この場所がたまたま高田和子さんの稽古場のすぐそばだったことが分かり、そして、高田さんのグループ「糸」のために作った曲を偶然にも選曲していたことなどが重なり、音の記憶のようなものも私を演奏マシーンに変身させたのかもしれません。個個にも不在が在りました。
思ったように弾けなくても、せめて精一杯の「良い音」を出したいと思いを込めて丁寧に音を紡ぎました。
深山さんは素直に音に向き合っていて、眩しいくらいでした。飛び立つ窓もたくさん開いています。私も、聴衆も、気が新たになるような美しい存在でした。ありがとうございました!手術前にこういう可能性に充ちた若者と演奏できたのはとても素晴らしいことでした。
演奏後はもはや靴に入りきらなく浮腫んだ足を引き摺って、痛みに堪えながら駐車場まで歩きましたが、心は軽やかでした。
ダンスの後「お疲れになったでしょう?」と聞かれた大野一雄さんがいつも「いいえ、前より元気になりましたよ、踊りましたから・・・」というエピソードが頭の中を何回も去来しました。