ドネダ

フランスとドイツ・イギリス等とのインプロの違いはある程度CDの聴取でおわかりかと思います。

ドネダは、若いインプロバイザーに「パパ・ドネダ」と呼ばれています。もちろん敬意を込めていますが、ある意味、インプロヴィゼーションの「原理主義者」のように思われています。

インプロヴィゼーションに関してあくまで「全てか無か」で対峙しているのです。全てか無か、という「ロマンティック」な考えを崩しません。素晴らしいことであり、なかなか出来ることでは無い。そこまで「信じる」ことはムリ、と若い人達に思われているのです。

もし、楽譜を用意され「これ一緒にやってくれない?」というと「ゴメンナサイ、私は楽譜が読めません」と言います。もちろん読めます。部屋でトリスターノやリー・コニッツを楽々と吹いています。ベニアト・アチアリの古いCDではピアノも弾いています。

彼は、プロフェッショナルということにも疑問を呈します。何か特殊な技術への対価として貨幣をもらい生活するということにも根本的な疑問をもっています。音は風になれば良いのだ、匿名になりたい、ということは資本主義に反しています。海童道と共通する何かがあります。アニミズム、シャーマニズム、アナキズムと関連するかもしれません。

一方、そう言う考えが貫けるのは、文化に対するフランスの深い理解と伝統に支えられているとも言えるかもしれません。縮小されつつあるとは言え「アンテルミッタン」という制度(パフォーミングアートに対する失業保険)に適合認定されれば例えば毎月1000ユーロ(13万円)は支給されるのです。それで家賃を払い、食事ができます。アーティストとしての誇りが保てます。練習をしたり、本を買ったり、映画を観たり、コンサートへ行ったり、できます。(日本との差は大きい!)

さらに、フランスのインプロと言っても、ルイ・スクラビスとミッシェル・ドネダの距離は天文学的です。スカーフ事件に現れたフランスの共和制の考え方にもどこかで関係するかもしれません。

そんなところまで感じてもらうと素晴らしいと思います。
写真は私とドネダの共演作CD,DVDです。