変わる。

繋がっている・待っていてくれる・やるべき仕事がある、幻想でもいいのです、そう思うことでやっていけるのです。変わっていけるのです。

「いずるば」ワークショップがある、というだけでいろいろとアーでもない、コーでもない、と考えたり、実践の時間では私が演奏することが期待されているし、私も演奏したい、のであります。

ワークショップがなければ演奏しようとは思わずに手足の運動するのが精一杯だったでしょうが、演奏することが期待されていると、痺れを見取られないように、平気な顔をして弾きたいので、いろいろなトライをしていました。

敢えて弾くことで痺れを欺すか、痺れの感覚を麻痺させれば良いか、とトライ。確実な効果があったとは思えませんが、ともかく弾いちゃうのです。ワークショップ始まる前にバッハ五番プレリュウードを「軽々」と弾いてみます。(本当は指がつりそうでした。)

実際昨日は、参加者全員と共演しました。(計30分超)
しかもスタッフにさえ痺れを感じさせないというオマケ付きでした。ヤリっ!

繋がっている、待ってくれているという感覚は、たとえそれが幻想であっても、身体・脳の細胞一つ一つがいろいろな方向に動いているのです。理想とする自分を、現実の自分のミラーニューロンが真似している? 会っている人達との共振・共鳴で細胞の変化は倍加されるでしょう。

いつか治るように願ってベッドで寝ているのと(寝ていると楽器を弾くことは決して無かったでしょう)、待っていてくれると幻想でも何でも良いから思っているのとでは、きっと、細胞レベルでは全く違うのでしょう。それがいくつもいくつも重なると大きな大きな差になる!

待っていてくれる人がいて、やるべき仕事が実際にある私は幸せものです。ありがとう存じます。

先ほど、友人が逝ったという知らせを受けました

ワークショップの中身については別項で書きます。