to enjoy the difficulties

 

To enjoy the difficulties

このenjoy は、楽しむというより、味わう+楽しむというニュアンスで理解しています。
マレーのザイ・クーニンに教わった言葉です。本当にキビシイ時にしか使えないな〜と思っていましたが、今は使えるかもしれません。

急浮上した指先の痺れです。手も足もです。足は、フラフラしたり、躓きやすかったり、気持ち悪かったりですので、まあ、ガマンできます。

手の指先の痺れは、演奏ができないので、次元の違う大問題になります。入院から今まで、ドイツも含めいくつかの仕事が出来たのは、筋力は衰えてはいましたが、指は正常に動かすことが出来たからです。ネットをいろいろと調べると私の使っているオキサリプラチンという成分による副作用のようです。

事態は変わりました。皮膚自体が薄くなってきていて左手も、ピッチカートの時の右手は特に、「痛い」のですが、痺れが溜まってきて感覚が無いに等しい状況です。明後日の診療の際に担当医と相談し、薬の配合を変えるとか治療中断とかしないと6月のいくつかのLIVE、7月のツアーを考えると、このままではマズい感じです。

北井一夫さんがアントニオ猪木を撮っていたときのエッセイで、猪木さんは弟子を取るときにまず指先の器用さを見た、というエピソードを思い出します。指先の微妙な感覚を総動員してあらゆる音のニュアンスをだすのと同じだな、と思いました。

その指先の微妙な感覚が失われているのです。これは死活問題也。大事だ〜。

いつもの私の方法として、効果的な方法を考え、さまざまな運動器具を手に入れグーパーグーパーしたり、握りしめたり、し始めました。こうすればもっと効果的とか、散歩の際もやってみようとか・・・

ちょっと待てよ、と内なる声が聞こえました。

ワークショップで言っていることとちがうだろ?と。

プロフェッサーとは、己の信仰を告白する人ということ。

私が私の口を借りて「偉そうな」ことを毎週言っているお蔭さまか、STOPが掛かりました。「耳と耳の間に座っていると」こう聞こえます。

「痺れていたら、痺れている手で演奏すれば良いのだ!」

「いつも」のように、丁々発止のスピードを持って、高度の技術を駆使して演奏しなくていいのだ!

「このピンチはチャンスのはずだ!」

「いつも」の演奏の満足感をコピーしようとしているだけではないか?

「何のために即興という手段をとっているのだ?」

「今・此所・私」だろ?

ふらつく脚で痺れる手で楽器を弾いてみます。もちろん運動は続けます。