副作用の底力

 

副作用というものは、本当にいやらしいもので、必ず予想を越えて来ます。

治療もone cool終了が見えてきて、今までの経験から、その最悪な状況をさらに二回り三回り悪くした予想をたてました。そうすれば大丈夫だろうという老婆心+石橋を叩いた予想でしが、それを上回って演奏不可という状況を突きつけてきました。本日も楽器を弾けません。フラフラと早朝散歩でかけ、お行儀悪く、脚を上げて浮腫を緩和させつつ事務をやる(超スローです。)だけ。

そしてさらに追い打ちが来ました。劇団の音楽をやっていたとき大変お世話になった方がパリで亡くなりました。ひょんなことから、私と同病であることがわかり、メールを交換していました。私が、この病はもっぱら精神的なものから発生する、今までの生き方が問われたのだろう、という自説を偉そうに披瀝すると、「なにを無粋な」と諭してくれるように、あくまで軽く答えてくれるオトナでした。

彼は早稲田小劇場・転形劇場と深く関わってきていて、更なる可能性として劇団「TAO」(太虚)にも大いなる期待を寄せてくれ応援してくれていたのです。もう一人のプロデューサー(写真家)も随分前に既に他界。こうやって一人ずつ居なくなります。

パリに移住してからも、わたしがレ・ザンスタン・シャビエなどで演奏すると奥様を連れて必ず聴きに来てくれました。昨年4月、パリ、シャトレーの聖メリ教会で喜多直毅さんとデュオをやったときにも来てくださいました。その後、お互いのキャンサーが発見され、あろうことか、本日FBで共通の友人からの報告がありました。

なんともはや・・・・

こうなるとこちらも対策を立てて、「私の状態は、なんということもないのだ」「極軽いものだ」と予想すれば、副作用も患部も小さくて済んだりして・・・