
化学療法も10回目となると副作用の蓄積が大分溜まっているものと思われます。以前は1日で退いていた浮腫みは退かなくなりましたし、恒例の諸行に加えて新たなる課題・難問を与えてくれます。はい分かりました。従いましょう。
ハンディキャップの人との関係を始めた頃、「一緒なんだ!」ということが嬉しくてその思いがついつい「行きすぎ」になります。しかし、個人個人の「事情」は厳然としてあるわけで「できない」ことは出来ないのです。一緒ですが、一緒ではない。違わないのですが、違うのです。
表現に事情は関係ありません。が、事情をくぐり抜け、すり抜け、削り抜いた表現は、一味も二味も違う光で輝いているはずです、と信じます。
自身がハンディキャップになるとよく分かります。病は病として今・此所にあるので、無くなっているわけでは無い。無いことにしては実生活は進みません。
今朝は早起きしてゴーヤーを植えようと思いました。昨年ヨーロッパからの帰国が苗植えの時期より遅れ、ゴーヤーが不出来でした。まず、昨年の枯れた蔓を取る作業を楽しくしていました。
枯れた蔓の風情も好きなので、刈り取っていません。
作業をしていると、蔓が絡まっているのが『癌』に見えてきてしまいます。キャンサーの語源は「蟹」。蟹の胴から8本の足のように絡まる事から来ているらしい。私の通う病院のロゴも蟹です。
この絡みを全部取ってやる、ハハハ、と嘯いて取っていたらすぐに疲れてしまいました。腕を高く上げるだけでも疲れ、足下も浮腫みで不安なのですから効率も悪い悪い。
こういう時は直ぐに休む。アンドラーシュ・シフの弾くフランス組曲、アビーリンカーンの歌、ジョニーホッジスが沁みます。
このゴーヤーが実る頃は、私はキャン無し!(のはずさ!)。ハハハ。
明日からいろいろと予定があります。準備は思ったようには全く出来ないでしょう。
まあ、そこからが勝負です。準備してそれを披瀝してもそれだけのこと。直前の準備などは薄っぺらな情報のやりとりにしか有効では無い。私には音があり、体験があります。そこでやっていくっきゃない訳です。試されるに決まってるっしょ。うそぶく日々です。
