off 効果

本日は、完全オフ。抗キャン剤打って10日過ぎると決まって来るガス(おなら)攻撃が始まり、おとなしく部屋で安静。第2回「いずるば」ワークショップの事を考えたり、ミッシェル・ニンツアーのブッキングなどしながら過ごしました。のんびりでもないか・・・ミッシェル・ニンツアーは素晴らしいものになりそうです!発表間近!乞うご期待!

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今回セバスチャン・グラムスさんに借りたベースには共鳴弦が12本付いていますスペースベースと彼は世びっます。12弦ギターの1部をそのまま付けているのです。その残響が心地よく舞台に影響を与えています。ギターにもシタールにも共鳴弦(弾く弦でない)を付けていますよね。

これを特化したのがBazantarという楽器にしてしまったマーク・ドイツさん。ハワイの国際コントラバスフェスで会い、この楽器を弾かせてもらいました。もはやコントラバスでは無いですね。しかし、楽器の重いこと。40㎏近くあったのでは・・・https://en.wikipedia.org/wiki/Bazantar
https://www.youtube.com/watch?v=crSi9IxPfYA

「いずるば」のワークショップを続けながら考えたい(隠し?)テーマの一つが「効果」についてです。知らず知らずのうちに効果を求めてしまう事について、ちょっと立ち止まって考えたいのです。当然 すぐに結論が出る訳は無いので、トピックを羅列して考えるヒントにします。

より良くなりたいという願望によって人は成長してきました。

その願望はあたりまえと思われて来ています。より良く、より早く、よりたくさん、もっともっともっと。その目的如何に関わらないことが問題になります。兵器がより良く、早く、たくさん破壊・殺人するために作られる、危険なまでの農薬でたくさん作った作物。もっともっともっと。

大ざっぱに言えば、「本質」のための「効果」だったものが、「効果」のための「効果」になってしまって行く先を見失ってしまったのではないかという疑念が常にあります。音楽や美術、文学、ダンス、などがそこに乗ってはダメでしょう。そう言う傾向にNOをWAITを突きつけるものとして機能しなければ、意味はないと思います。

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私としては、もちろん音を通して、音楽、即興、ノイズなどを通して考えたいのであります。

プラス面
効果は興奮させてくれる(本質は冷静にさせてくれる)
効果は「新しい」感覚を開いてくれる(本質は温故知新)
効果はカタルシスをあたえてくれる(本質は新たな目覚め)
効果は求めずとも来る(本質は常に求めてこそ)
効果は憂さを忘れさせてくれる(本質は知らないものを思い出させてくれる)
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マイナス面
効果は時間を奪う(本質は時間を止める)
効果のほとんどはコピー(本質は創造)
効果は強いもの勝ち(本質の視点は低い所から見る)
効果は勝ち逃げする(本質は永遠に留まる)
効果は終わった時に元に戻る(本質は終わった時に元に戻らず変容している)
効果は実は「遅い」(本質は速い)

頼りすぎてはイケナイことは誰でも感じている事ででょう。
若い頃、、一時期「効果的」な演奏をしていたことがありました。自力アコースティックよりも電気をふんだんに使ったり。

そう言う演奏が、上手く行けば行くほど、聴衆が驚き感嘆した表情を見れば見るほど、私自身の心は荒んできました。そんな自分を毎回コピーするのも耐えられなくなりました。(そんな状態を救ってくれたのが金石出さん達、韓国のシャーマン達でした。)

スピード感溢れたように見えても、実は、遅いのです。ツマミを回したり、フェーダーを上げ下げしたり、フットスウィッチを踏んだり、はとても遅い。アコースティック楽器のコントロールの方がまったく早いし自在なのです。

しかし、その「遅さ」は聴衆にとっては、付いて行きいやすいのです。繰り返しパターン、地と柄の展開、上昇・下降、増加・減少など行き先がある程度読めることが多いので、一体感を得やすい。

残響・リバーブ(エコー)。上手に上品にリバーブをかけると心地よいサウンドになることがあります。洞穴でのエコーや、風呂屋でのエコーなどに似た音。

それはなぜ?身体の中の水が反応(同期)しやすい。(同期するまでの時間と期待を与えてくれる、ユックリと身体・聴覚器官を揺らせてくれる)。機械的で無く、倍音に沿った周波数だと質の良い残響を得ることが出来ます。

機械的に残響をかけ(過ぎ)ると、まったく芯の無い音になってしまいます。そう、効果が効果をもとめて結果、芯の音が無くなってしまう良い(悪い)例です。効果が本質を破損する。

ビブラートに関しても考えられます。
ほんの少しの周波数の違いからくる「うなり」。それをうまくつかったのがビブラート。
かけ過ぎると、美輪明宏の愛の賛歌のようになります。韓国のアジェン・カヤグム・コムンゴのビブラートも過剰ですが、過剰ゆえに違う次元のビブラートとも言えましょう。

聴くもの、弾くものの心を揺さぶって揺さぶって「飛ばして」しまう、さらには「掠って(さらって)」しまう。

残響は閉じていてこそ発生します。固有の残響は他の固有の残響と共鳴します。
残響は固有の周波数をハッキリさせる・強調することができます。
私は「何か」をハッキリさせてくれるのです。

固有の周波数(私)を楽しみ、共鳴やコミュニケーションを楽しむことは人生の喜びであり、生き甲斐であり、音楽やダンス、詩や歌を導き出します。(聾の人も固有の振動数を持っていると思われます。)

残響を作る:

自分でコントロールできる範囲でやっているかどうか、大きな違いを生みます。
音はもともと自分でコントロールするもの、コントロールできるものではない、という前提に立ってみましょう。

音を出すということは、自分の身体を通して、楽器を通して出てきた音を「聴く」ということという前提に立ってみましょう。

その音をその場の好みで電気的に変えていくことのキケン、傲慢。
なんのため?サウンドさせるため?
なんのため?お客様に聴きやすくするため?
そもそも何のためにやっているの?答えは?

またもや最近 私の流行りの言い回しコトバ
「効果を求めず 効果的に。」