春
リハーサル3日目も無事に終了。ジャンとも話しましたが、初演時の一番良いところまで行くことが出来た、さて、これから「今・ここ・私」で今で無ければ、ここでなければ、わたしたちでなければ、できない更なる先に行ける工夫をやることが出来るのです。リハ初日はどうなることかと思いましたがさすがです。あっと言う間に此処まで来ました。
このリハーサルで特徴的なことは、時々、入居者がリハーサル会場に現れることです。辺りをうかがいながら入ってくるというのではなく、あたりまえのように入ってきていつの間にか隣に座っていたりします。この日は3名が入ってきました。
そのリアリティたるや、リハーサルで四苦八苦している我々を軽く笑い飛ばすほどの自然さと大きさを持っています。我々も、彼らに対抗(対照)して自然に立ち居振る舞うことが出来なければダメ、と教えられます。大いなる示唆です。作り物である私たちのタンツテアターが、ホンモノ、日常とどのように対峙できるのか?
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人には、やることがあれば生きていける。「やること」次第。というのが最近の考えです。
そして、音楽も似ています。評価されようとされまいと、受けようと受けまいと、その「音楽」次第。活動領域も活動内容も聴衆も、続けるか止めるかも、次にどういう音楽をやるのかも、その「音楽」が決めていきます。そこにこそ忠実であれ!と思い、信じたいのです。私という身体を借りて音楽が出ていくのをできるだけ邪魔しない、スムーズにでていけるようにするのが私の仕事だと思っています。
思えば、この季節はジャン・サスポータスさんと毎年一緒でした。
2017 ブッパタール 私の城(再演)
2016 ブッパタール 私の城(初演)
2015 一歩はみ出すためにツアー 日本各地 9月には竜太郎10番勝負!ドイツ各地
2014 東京・北海道ツアー
2013 シンガポール・ISB・ヨーロッパツアー
2012 ブッパタール(looking for KENJI)・東京【ジャン】DVDになりました。
2011 東日本大震災で来日延期 5月来日
2010 ブッパタールORTレジデンス
これもそれもあれもどれも偶然では無いのでしょう。たまたまではない。音楽やダンスが導いてくれている。その道を素直に見据えて従って行く。下手な判断はしない。(ここに共通して透けて見えるのは障がい者との関係です。それも自然に進んで行っています。)
2人の共通の親友矢萩竜太郎さん(ダウン症ダンサー)は、ダウン症の家族・医師・研究者にある意味で非常に注目されていると聞きました。
ダウン症の人はゆっくり歳を取っていって、ある点を境に急に老いていき早めに寿命を終える、ということが言われています。私も聞いたことがありました。
しかし、ある地点を越えると、「やること」がなくなって(という理由で)急に老いるのではないか、という説があるというのです。
その点で、矢萩竜太郎さんは「ダンスとであって」ダンスという方法をもち、人と、世の中と、繋がること(ダンスの先生、共演ダンサー、共演音楽家、スタッフ、そしてなにより聴衆)で、いつまでも好奇心に満ちて居ることが出来るのではないかということです。
やること、を自分勝手に決めないことが必要になります。色眼鏡で見ない。澄んだ目でみるためにすること、が私たちの日常の仕事です。トンネル掃除です。できるだけ客観的にみる(今・ここ・わたし)今はどういう時?ここは何処?私は誰?自分のマッピング、シンプルな優先順位の付け方、時間配分。
オレは好きなことをやるのだ!文句は言わさない。というのも良いでしょうが、しかし、それが何のため?なのか、私の身体を通して出てきたがっている音楽のためだったら、どんなワガママ許されるのでしょう。ある程度ワガママを言わないと出てきにくい現状です。
一瞬一瞬の判断、あたりまえの日常こそがすべてを決めていく。今が大事。Now the time.