ブッパタール、雪、仕事・・・

定宿ジャン宅に居ます。このところ1年に1〜2ヶ月居るので普段通りという不思議な気分。ただ今、朝7:00 外は雪! 昨年も4月末にこちらで雪を体験しています(入院中でした)。ブッパタールの4月には四季が全部ある、と言われているそうです。

竜太郎さんとのパフォーマンスで大いなる気をいただきました。抗がん剤治療9回目の点滴が抜けて翌日だったので、体の中は劇薬がふんだんに入っていて、5か月間蓄積されたものもあります。日常個人生活の中でのたいへん微妙な側面(痔・口内炎・浮腫み・倦怠感などなど)に影響しているので、単にどこかが痛いとかとは違って、じわじわと人の弱みにくる感じです。試練。

インクルーシブ。それは、普段ならどうしようもなくなった時に窓を開けてくれ、光を見せてくれるものなのかもしれません。本当に貴重なことです。(きっと双方にとって)

しかたないさ、大丈夫大丈夫と、放棄せずに時が過ぎ行くのを待つのみならば、症状のことなど考えずに、他の素晴らしかったことを思い出せばよっぽど良い!

動作と頭の回転が散漫で普段の何倍の時間とエネルギーがかかり、あまりにヒドくて、笑っちゃいますが作業はなかなか終わりません。辛さをなくすことは出来ないのなら、知恵を巡らせるしかない。

今回の渡独は、行って、仕事をするということ以上に、ただ今の状態で「行き」、仲間に会い、話し、仕事をし、人々と触れ合い、なんとか帰ってくるということが何よりも大事な主題なのだと思えてきました。さらに言えば、すべての仕事というものは、仕事のためにあるのではないのかもしれません。

立ち上げたワークショップのスタッフ、日景晶子・秋田ババ関連東日本大震災のチャリティ、キャンディでの今井和雄さんとのデュオ、ワークショップ第0回1回、バーバー富士ソロ、新生会竜太郎セッションなどなど数は少なかったけれど、最近の活動を支えてくれた数多くの人々の温かな気持ち、その場に居合わせてくれた人、遠方より気を送ってくれている人々が、「仕事」を通して、私をして生き延びさせてくれているのだな〜。仕事とはそういうもの?

自ら「病人」役となり迫真の演技からホンモノの病人になってしまい、病気にばかり詳しくなり、症状を観察してベッドで寝ていたとしたら決して得ることが出来ない尊いものをいただいているのです。なによりもやることがあり、会える人がいて、すこしずつでもこなしていく、こうやって即興的な生活のつながりが人を生きさせる。

幸いなことに、私は「やりきった」とはまったく思っていません。やっと音楽や人間・社会が少し分かって、楽しくなってきたばかりです。まだまだ生きられる?

何回も頓挫しながらの旅行準備も、多くの忘れ物がありますが、結局時間が来ると出かけます。空港へ娘に送ってもらい気がつくと飛行機に乗っていました。ほとんど運転をしていなかったペーパードライバーの娘が病院通い、コンサートリハーサル通い、用事・買い物などで運転感を取り戻したのもキャンサーギフトと言ってもいいかも。いろいろと波及していくのですな。