言葉・コトバ・コ ん ト ら バ す
「りら」の公演(@七針)で、女優の笠松環さんがアルバイトの就業規則を「読み上げる」というパフォーマンスをやりましたが、昨今の内閣府でのゴタゴタを先取りしていたように見えました。
なるほどこうやって責任転嫁させて「逃げる」のか、そのための詳細な規則で、実体を伴っているかどうかは関係ない、言葉上で切り抜けられれば良い、ことを実感させてくれます。
言葉は決してそのようなことのために作られ、育まれてきたのではない、と思いたい。コトバ=音楽=コんトらバす 言霊(コトダマ)
一方、言葉も音楽も、「考えさせない」ためにも使われます。
この二面性をしっかり意識しなければならないのです。
音楽は音そのものが終わった時に始まる、という逆説めいた考え方にも相通じます。その時にこそ初めて思考や感情や記憶へのアクセスが始まるのでしょう。以降、脳内再生が可能になります。
「忘れさせる」・「思い出す」この相矛盾する事象を、身体・呼吸を媒体にして、音を意識することによって捉え直すことができれば!ということが私の大きな目標であり、すべての演奏、ワークショップで実践したいことなのです。
根を持つことと羽根を持つことを1度に手に入れる夢。
思考・創造にとって、音楽も言葉も必要なく、かえって邪魔。
アスリートは試合の前にヘッドフォーンで音楽を大きくして聴いています。考えないためです。試合のことをあれこれ考えて迷わないためでしょう。言葉も同じ。祝詞をお経を聖書をコーランを、声を出して唱えている時、人は考えません。
正しさは、創造や思考に関係しません、役に立たないのです。
音楽を聴くのは、「考えたくないから」という側面があるのです。
音楽の根強い人気の理由でしょう。
「考えるとは、一語一語つまずくことだ」と吉田一穂は書きました。
一語一語、つまずきつつ考えぬくことは容易ではありません。合理性や論理性の強い意志が必要です。考えぬいた一穂さんは、古代緑地(地軸が30度傾いている)、とか、黒潮回帰とか、壮大なイマジネーションを繰り広げました。
考える習慣の無い人達には、考えるなんてのはメンドーだい、エーイ、踊っちゃえ!音楽に乗って身体を揺さぶっちゃえ!
大いなる発散になります。憂さを晴らし、スッキリします。
そして、それが大人数に及んだときのパワーはもの凄いものになります。
権力が「ええじゃないか」を怖がり徹底的に弾圧した理由です。踊り念仏しかり。新興宗教しかり。
「正しい・間違っている」という論理を越えたものこそパワーになります。正しい・間違いで洗脳することは論理性やあるいはカリスマ性が必要になります。
江戸時代以前には、学者も医者も「やくざもの」の中に入れられていたということも聞きます。実業にたずさわってこそ一人前の人間だ、という考えでしょう。
完全即興演奏をしたい、と同時に、バッハも弾きたい、オリジナル曲も作りたいし、
暖かな安定した家庭を持ちたいし、どこからも逃げまくって気の向くまま暮らしたいし、
田畑を耕し、豊かな実りを収穫したいし、狩りに行き、漁に行き獲物を得たい。
音楽を浴びるように聴きたいし、無音に耽溺したい、
自由自在に踊り明かしたいし、只管打坐・沈思黙考したい、
倒れるまで酔いしれたいし、海や火を観ながら沈着したい、
大声で歌を歌いたいし、一日中一言もしゃべりたくない、
音楽に乗り、憂さを晴らしたいし、音楽で記憶を喚起し、初めてのものを思い出したいのです。
今、根と羽根を持ちたいものです!
近々のLIVE予定
4月10日(月)barberFUJI
http://barberfuji.sakura.ne.jp/index.htm
ソロコントラバス!
開場 18:30
開演 19:30
視聴料 3000円
予約・問い合わせ
終演後参加費無料の打ち上げがあります。
4月14日(金)社会福祉法人新生会
http://www.sinseikai.org
「ダンスとであって」
午後1時30分よりおおむね1時間
入場無料
新生会内 桜ヶ丘芸術ホール
高崎市中室田町2112
矢萩竜太郎+齋藤徹
問い合わせ社会福祉法人新生会 電話027-374-1511
4月26/27日
ドイツ ブッパタール 自閉症タンツテアター「私の城」
ジャン・サスポータス振付・演出
齋藤徹 音楽・Cb
喜多直毅(vl)・ヴォルフガング・ズッフナー(Tb)・ウテフォルカー(Acc)
ケンジ・タカギ、クリステル・ジルボー、皆藤千香子、深堀絵梨 (ダンス)
写真:スズキイチロウ