いつも私のCD評を書いてくれるイスラエルのEYALさんが昨年の還暦記念リサイタルCDの評を書いてくれました。
http://www.freejazzblog.org/2017/04/tetsu-saitoh-travessia-travessia-2016.html?spref=fb
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これは「闘病」とか「生き残る」とは違う次元だな、と本日病院の帰途気づきました。なんとしても勝ち残ってやるんだ!という感じではないのです。半年キャンと一緒に過ごし、喜怒哀楽を共にし、時には憎み、時には泣き笑いを共にしてきた同志です、というか自分自身です。
専門病院に行ったり、そばを通ったりするだけで、共に、ある現象を生きているのだ、という共感を強くもち、とても「自分だけでもなんとかして勝ち残ろう」などとは思うことが出来ないのです。
「これ効くよ」と耳にすると、少々高くてもやみくもに手に入れていた時期も過ぎ、ヘラヘラと笑って自分を欺そう、という次元もちょっと客観的にみることが出来るようになった気もします。結局、心の底からの安らぎに達していないと欺しの上塗りを繰り返すことになるのだ、と気づきます。少しストレスが溜まることになっても心の底から「フーッ」と息が出来る状態に優るものはない。なにしろこの身体と心は38億年の生命史を勝ち残った最強のものなのです。小手先の詐欺には引っかからないでしょう。引っかかった振りをされるだけ。
ライブをやってみて、見つかる宝が少しですがありました。これこそ音楽療法でした。
今の私は結構「強い」です。周囲が、私の願いを叶えてくれる状況にあります。それを良いことに、甘えてしまうことに要注意!!です。そこで、闘病中の「病人」になってしまうのです。実は、健康な人とさほど違わないのだ、という意識にすることが今、大事と思えて来ました。
病も不調も含めての「健康」「人生」という野口晴哉さんの言葉が沁みてきます。
エアジンの梅本さんの名言「やるかやらないか迷ったときはやる。買うか買うまいか迷ったときは買わない」「出来ないときはしかたないのでゴメンとあやまる」。
出来なくてゴメン、ということは、「健康」な時とあまり違わない!のです。都合が良く、納得させる免罪符を持っていると無意識に思ってはイケナイどころかアブナイ。
さて、来週のbarberFUJIでのソロ、新生会(群馬県の老人ホーム)での竜太郎さんとのデュオ、しっかりやって渡独。よっしゃ。まかしとき。
写真:スズキイチロウ