抗がん剤点滴「ちゅうぶらりんこチャン六世」も使命を終え、自己抜針も慣れてきて、無事終わりました。今回の副作用にもまたまたニューフェイスがいらっしゃっていますが、直にお引き取りを願っております。
ってな訳で明日の七針「りら」には出演できます。
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鈴木ちほ・佐々木久枝・笠松環さんによるグループ「りら」は、一昨年盛夏の私のワークショップで偶然出会った事には違いありませんが、つらつら思うと東西南北・過去現在未来へ曼荼羅のように繋がっているのです。
笠松環さんは岸田理生さん繋がり。理生さん(寺山修司さんの良き仕事パートナーでした。)とは劇団「太虚(TAO)」で音楽監督をやっていた時に出会い、当時ブーム?だったハイナー・ミュラー関連作品「ハムレット・マシーン」(石川高と)を上演した後に理生さんが「メディア・マシーン」を書き上演、ギリシャ悲劇「ダナイード」(久田舜一郎・黒田京子と)、李潤澤「火の仮面」(広木光一・春日博文、)TAOとは別に「空・ハヌル・ランギット」などで一緒に仕事をしました。(この芝居のテーマ曲が『街』です。酒井俊さんも録音してくれました。)その後、韓国・東南アジアへの仕事・興味が重なったためにいろいろな方面で親しくさせて頂きました。
長野諏訪の病室でザイ・クーニンと演奏したこと、亡くなった時にちょうど近くを移動中だったので直ぐにご自宅に駆けつけたことなど昨日のことのようです。その理生さん周辺最後の繋がりが笠松環さんだったのです。堂々とした低い声が魅力で、乾千恵さん作「ミモザの舟に乗って」ポレポレ坐「徹の部屋vol.7」公演(ジャン・サスポータス、小林裕児、徹、黒田京子、米澤美和子)でも共演。
鈴木ちほさんは、板倉克行さんとの出会いから音楽へのめり込んだと聞きます。板倉さんと私は「騒」仲間なのでした。自宅が徒歩3分以内でした。すなわち私の音楽キャリアの始まりの頃の知り合い。ビートのあるオーネットっぽい曲とか、生活向上委員会の菊池隆(ドラム)とトリオ・ミラクルクラスターを作ったり(土橋恵美子命名)、私の結婚式では行進曲をエアジンのマスターと演奏してくれたり、川崎のホテルで毎週スタンダードジャズをやったり。
その後、人生何周かしてまた出会うのだろうなと思っていたら亡くなってしまいました。連絡が途絶えていた間に、板倉さんは多くの若者を育てていて、その中に鈴木ちほ、田嶋真佐雄、カイドーユタカさんなどがいたそうです。ちほさんはプロデュースの腕もあり、類家心平さんと私とのデュオを仕組んでくれたり、なにかと手伝ってくれています。
佐々木久枝さん(みかんちゃん)は、書家 平野壮弦さんのお弟子さんだった頃知り合いました。壮弦さんはオリジナルでユニークでオーソドックスでもある書家です。と同時に根っからの教師魂の持ち主なのです。今の世の中、ホンモノの教育者は「教師職」を全うできないのでしょう、教職を辞し、私塾の形で後進を育てています。すばらしいお弟子さんがどんどん育っています。
私のCD「パナリ」(沖縄録音)をたいそう気に入ってくださり、ご本人曰く「CDが擦り切れた」そうです。書の一つの源泉である韓国の書界との関係も深く、日韓ワールドカップサッカーの題字も提供していたそうです。私の大事業だった「ユーラシアンエコーズ第2章」の時は、味も素っ気も無い公共ホールのロビーを大天幕で覆ってくださいました。ユーラシアに拡がる青空、まことに雄大でした。ありがとうございました!
「りら」との共演というのは、そういう曼荼羅がまた繋がり、さらに先へ先へと繋がることなのです。良い会にしたい!