公演終了 ホッ。

4ヶ月間、自宅と病院の日々でしたが、なんと昨夜は打ち上げに参加。駅近くの餃子屋で三岳のお湯割りを呑んでいました。お〜、何という違い!でしょう。

3日間の公演を無事に終えることができました。四方八方、東西南北、上も下も、横も縦も、斜めも近くも遠くも、やおろず(八百万)の神様も、本当にありがとうございました!

多くの方が私が動いている(生きている?)のを確認しにご来場くださいました。はい、生きてましたでしょう?

え〜、人間というものは(五代目志ん生口調で読んでください)、まことに欲が深いもので。
最初は、責任を果たせない危惧からキャンセルを申し出、指示だけでも、作曲だけでも参加してくださいという言葉にほだされて仕事を受けました。決定は昨年暮れのこと。

次は、抗がん剤治療の時期をずらすことを担当医と相談しOK。(なるべく薬が体内に残っていない時期をこの公演に当てる。明日21日に第6回実施。)

何とか最低の仕事として作曲にとりかかる。11月の入院以来大量の音楽を聴いてきているので、作曲はとてもスムーズに行きます。いくらでも出来る感覚です。聴いた音楽の影響が直接でていないかをチェックする必要もありました。案外出ていないものでした。

本番に自分も参加するように体調を整える・・・これが困難でした。自分の身体と心をコントロール出来ないことを痛感。痛い。イタイ。ぐやじい。そのうちリハーサルが始まります。

志保さんからの要請がコントラバストリオでした。共演してくれるのがベースアンサンブル弦311で気心の知れた田嶋真佐雄・田辺和弘さんなので、共有情報・経験が豊富。それを考慮に入れて作・編曲できるのがとても気持ちが楽でした。(あの感じで、とか、あの時のように、とかで説明が付きます)。

身体が気がつかないようにして自然に参加する雰囲気にしていきます。自分の身体を騙すのです。リハーサルで3日間都内に出ます。もうやる気です。

リハーサルの度に新曲の感じがつかめてきます。作曲の時の茫洋としたイメージから、この三人の「今・ここ・私たち」を適応させていくことが肝心です。どんどんと「欲」がでてきてしかたありません。参加出来るだけで幸せだった時期から、演奏したい気持ちに代わり、そうすると、こうしたい、ああしたい、こうやればもっと良いはず、ああやらなきゃつまらない、もっと何か無いか?そうだ、あれだ、これだ、ん〜、もっとできないか・・・そんなことばかり考えてしまいます。欲のかたまりです。これではまた病気になるんちゃうやろか?そんなことはあるまい、など自問自答。

さて、初日、舞台で弾いているだけの事実がグッと胸に迫ってきました。自分でも予想外でした。騙したはずの身体が反応している?

最後のシーンは、志保さん+コントラバストリオ。予定通りつつがなく行くであろうことは推測できましたが、何かが足りない感が急に押し寄せました、よし!っと、出待ちをしていた田辺・田嶋さんに「最後の最後のシーンで演奏立ち位置から舞台へ移動して志保さんを囲むように即興する」と耳打ち。

映像を考慮して舞台横で弾いていた三人が譜面台をどけて舞台へ移動。志保さんはもちろん、照明も、スタッフもだれもこの動きは知りません。

普段舞台で「上がる」ことはほとんど無い私ですが、なぜか、ガラでも無く、ドキドキして、涙さえこみ上げそう。踊っている志保さんも泣いているようでした。

即興的ヒラメキとはこそういう力があるのですね。何かをその場で「発見」し純粋な即興行動にでると、その場に居る人はすべてそれを「感じ」見抜きます。さらに、共振し、共有し、心に身体に浸食し、共通の空間を抱く。誰の表現でもないその場に居る人達だけの祝祭空間、同時に、キッチリと時と場所と人を刻印したため普遍へも近づきます。

そんな初日でした。2日目の2公演、楽日、それぞれ即興的ヒラメキを大事に遂行しました。そのレベルを保つことは誰も保証してくれません。どんな準備も役に立ちません。それを可能たらしめてくれたのが此処にいたすべての人・もの・ことなのでしょう。身を投げ出し、予定を捨てる勇気と(狂気?と)信じる・待つ・聴く力。

さて、気も新たに明日第6回目の実施に備えます。