ソロCD「トラベシア」曲目紹介

CDの評が少しずつ出てきました。
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#1366 『齋藤徹 / TRAVESSIA』

solo CD「TRAVESSIA」(TRV-020)から音のサンプルをユーチューブにアップしました。

それぞれ30秒くらいです。
大体の感じがわかるかと。
お気に召され、もっと聴きたいと思っていただくと嬉しいです。
トラべシアでは、送料無料でやっています。
お申し込み:travessia115@me.com
PayPal払い・郵便振替(手数料当方持ち)があります。
まとめてのご購入には割引きもあります。

ライナーも真っ正直にそして精一杯書きました。

ここでは、ライナーに書かなかった事を曲ごとに徒然なるまま。
1;王女メディアのテーマ
作曲の始まりは野村真理子さんの心のこもった川崎克己さんの追悼公演の時に作ったものです。川崎さんは大変ユニークな音響技師でした。わたしの初LP・CDの録音もしてくれました。30年前から自分の事務所の名前を「ノイズメディア」と名付けていました。彼のPA(ご本人はSR;sound reinforcement 音の補強と呼んでいました)は高次倍音を強調したものでコンサートを作るのは自分の音だ、と言う自信と誇りに満ちていました。時には、たくさんの機器を借りて来たのに敢えて全く使わないというPAをしました。立派でした。長崎生まれの彼は被爆2世。その影響もあったのではということを野村喜和夫さんが話してくださいました。

2;ストーンアウト
私の演奏を根本から変えてくれた金石出さんへ捧げた曲。効果ばかり狙っていて即興しか認めないという時期に彼に会って救われました。今の人がやっているような電気的なことは大抵やっていました。ブリキ板だのビー玉だの、マッサージ機も当たり前。ソウルでの金さんとのセッションにもビー玉を持って行ったという状態です。効果ばかり上がって行って心はどんどん冷めていてあのままでは「音楽」を辞めたかもしれません。その辺りのことを今の若い人にも伝えたいのです。
3;インヴィテーション
リディアンに魅せられた初めの頃の曲です。劇団「太虚」の演劇のためでした。時はバブル。段ボールアートで世に出る頃の日比野克彦さんも参加。脱ジャンルの機運がワサワサした隅田川左岸劇場。新国立劇場の音響を任された渡邊さんが美空ひばりモデルというTADのすごいスピーカーを贅沢に使っていてPAのなんたるか、音のなんたるか、演劇のなんたるか、を教わりました。タイトルはバール・フィリップスさん命名。アケタズディスク「Coloring Heaven 彩天」録音の時にデュオで演奏しました。

4;夜 浸水の森より
小林裕児さんの絵画。この絵画発表の直後に東日本大震災があり、予見していたのでは、などと言われたりもしました。作曲を委嘱され、静岡のホテルで一気に書きました。「夜」は特に気に入っています。311直後に「いずるば」でダンスの会があり、岩下徹・矢萩竜太郎・喜多直毅・私でした。余震が続き、東京を離れる人も多く、今考えると非日常でした。そんな中のダンスの会も異常でした。聴衆はありきたりのものには満足せず、なんとも形容しがたい気持ち、持って行きどころの無い気持ちに沿うものを求めていたという印象でした。この日はそんな聴衆と演者が絶妙なバランスで高揚した稀なる会でした。特に矢萩竜太郎さんが光って見えました。

5;あの頃(ピシンギーニャのショーロ)
35年くらい前からブラジル音楽の美しき泥沼に歓んで嵌まっています。ヴィニシウス、カルトーラ、ジョビンあたりから始まり(FM番組と中南米音楽誌が先生でした。)先日亡くなったピエールバルーさんの映画で伝説のピシンギーニャが動くのを観ました。ピシンギーニャ、シキーニャ・ゴンザーガ、エルネスト・ナザレーなどの古いショーロの馥郁とした香りにやられました。
「あの頃」というタイトルだけで我が心の柔らかい部分がやられてしまいます。

6;バロンミンガス(ミンガスの曲をいくつか使っています)
高校生の頃からの憧れでした。高校のジャズ仲間の父親が脚本家宮本研さん。ナット・ヘントフの「ジャズカントリー」をラジオドラマにしていたり、ミンガスジャズワークショップは私のジャズの象徴でした。彼の音に近づくためにガット弦を試しました。今ではガット弦ベーシストが増えていますが当時はほとんどいません。フレンチ弓もほとんどいませんでした。ミンガスに導かれるようにわたしのコントラバス指向は変わっていったのです。ミンガスのビートは4ビートでも2ビートに近く、それ故にも、ラテンリズムとも親和性があり、ワルツとも両立します。ハイチの闘いの歌・ベターギットイットインユアソウル・グッバイポークパイハットなど引用しました。

7;エスクアロ(ピアソラ)
ピアソラのカバーアルバムを2種類作りました。カバープロジェクトはピアソラさんだけです。1986年に代役としてブエノスアイレスへ行ってプグリエーセさんと共演してから、抜け出すことが出来ないほどタンゴに嵌まってしまいました。ミンガスが2ビート基本と書きましたが、タンゴは全くの2ビート。プグリエーセのジュンバというリズムは究極的な2ビートです。ピアソラはタンゴの前衛や異端ではなく、タンゴの本流・ど真ん中であることは今のタンゴ界が証明しています。エスクアロは正確にはタンゴではなく、ウルグアイなど(アルゼンチンとブラジルの間)で盛んなカンドンベ(アフリカの影響を出したリズム)です。ピアソラの332のビートは、ミロンガのゆったりしたビートともカンドンベの激しいビートとも相性が良いのです。それは8ビートとの相性よりも本質的と思います。

8;アルマンド(バッハ無伴奏チェロ組曲6番より)
バッハ無伴奏チェロ組曲は、ともかく私のコントラバスにとって「帰っていく場所」のようです。初めのうちは1番が好き、その内、2番が良い、となって、今は6番・5番が良いのです。
6番は5弦のチェロを想定して作曲されたと聞きます。どんどん高音域になっていくのです。そこを私はコントラバスでどんどん低音域に行くアレンジをしました。そしてピッチカートを多用するととてもダンサブルになっていったのです。プレリュードは、韓国伝統音楽のクッコリになっていきました。

9;霧の中の風景
作曲の始まりは25年以上前、「白鬚のリア」(劇団「太虚」鈴木絢二演出・若松武史主演)の時です。エドガー(高田恵篤)がわざと身をやつしての生活のシーンでのものでした。諦めでもなく、希望でもなく、ブルースでも無く、しかし何かを固く信じている。愛?信条?いや、生きるというギリギリのこと、生き続けるということ、人間そう簡単には死ねない・死なない、ということ?
ドラムスの小山彰太さんが大変気に入ってくれて得意のハーモニカで録音したこともありました。
CD「往来」往来トリオ(林栄一・小山彰太・私)

10;我が人生の全て(即興)TODA MI VIDA
ずいぶんと大げさなタイトルですね。元はタンゴの古典で、アニバル・トロイロ(ピアソラの師)作曲、José María Contursi作詞の名曲です。

こういう大げさなタイトルは本来私の趣味ではないのですが、CDの選曲中に閃いてしまったのです。本番中にバッハ無伴奏チェロ組曲6番が破綻し、即興に切り替えたという「大事件」を思い出すに、この即興こそがこれまでの私、今の私、これからの私を表しているのではないか?と思えて来たので、このタイトルを借用したのです。
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