素顔が笑顔

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めざせ!「素顔が笑っているおじさん」
竹中直人の得意技で「笑いながら怒る人」というのがあって、とても印象的でした。笑いながら怒ることは普通は出来ないからでしょう。吉田一穂さんの提唱する「半眼微笑」顔の上半分は思索的、下半分が微笑み、というのもいくつかの優れた仏像以外は不可能ということ。
ミラーニューロンを思うと、笑顔はとても素晴らしい。笑顔が伝染してみんなが笑顔になる。
もともとミラーニューロン(物まね神経)とは、ヒトは協働しないと生きていけなかったことの記憶かもしれません。あるいは、同じ意識で協力すれば1+1=2以上になることをしっていたからでしょう。「空気を読む」というマイナスイメージとは違うもっと生き残るための根源的なもの、それを「本能」と呼ぶのでしょう。
チャップリン「モダンタイムス」のラストシーンで「さあ、闘かって生きるのだ!」という彼女の口元を笑顔にさせて終わります。笑顔の方が本当の実力がでるのです。
内からでてくるものでなければ偽物だ、いくら外を取り繕っても無駄、という考えもあるでしょう。しかし、「泣くから哀しい、笑うから楽しい」という側面もヒトには備わっています。外から攻めてもいいのです。笑顔から身体中をほぐしていく、自然と免疫力もあがり、治癒力もアップ。嘘から出た実でもいいのです。
逆を言えば「ヒトを呪わば、穴2つ」。呪ったり悪口を言うだけで自分もその悪循環に入ってしまうのです。脳には太古からの部分が残っていてそこでは「主語」が判別できないということを読んだこともあります。すなわち、他人を呪ったり、悪口を言ったりすると自分を呪うこと悪く言うことと同じになってしまう!
笑顔とは、自分への笑顔でもあるわけなのでしょう。初めはわざとでも良い、その内に素顔が笑顔になるとすばらしい。
そこで「めざせ!素顔が笑顔のおじさん」
なかなかしぶといいままでの自分。何かあるとそこへ逃げ込み、文句ばかり言っています。実はその方が「楽」なのです。そこを越えるための1つの方法になるかもしれない。
期待大!
ミラーニューロンが他者と同期する本能的な神経とすると、自閉症スペクトラムの人達はその逆とも言えるかもしれません。真似をしない、比喩が通じない、方言がないなどなど。ドイツで続いている「自閉症プロジェクト」への大きな示唆になります。このことについては長くなりそうなので本日は無し。
本日のとてもとても嬉しい発見
1964年セネガルのダカールで行われた第1回国際ニグロフェスティバルでのデューク・エリントンの演奏がYouTubeにアップされていました。ススス素晴らしい!私のジャズのど真ん中ストライクです。
この頃のデュークの演奏は多くの録音・録画に残っていて、私のフェイバリットです。ベースがジョン・ラム、ドラムスがサム・ウッドヤードのころ。この頃から遺作となる「極東組曲」までアレンジのビル・ストレイホーンが突っ走るのです。調性の中で何処まで行けるかの実験であり、エリック・ドルフィが個人で行ったことを集団で行った希有な例です。しかもスウィング時代からのエリントン楽団の遺産も引き継ぎながらなのです。空前絶後です。
ベースフィーチャーの「アフリカの最も美しい花」の初演だと思いますが、ジョン・ラムもハリー・カーネイもジミー・ハミルトンも実に素晴らしいソロ。バッキングするエリントンもアフリカのポリリズムを意識してか、4拍子に対して5拍子や6拍子でぶつけてきたり、リズムパターンを半拍ずらして延々とやったり、遊んでいます。
第1回国際ニグロアートフェスでの演奏でアフリカへ赴いての演奏ですので、エリントン自身いろいろ思うところがあったでしょうし、期待も動機も相当なものがあったと想像します。エリントンの「ニグロ」意識は「My People」や「new world comin’」などで表だって表現されますが、そういうコンセプトを越えて単に「実にすばらしい音楽」なのです。
入院以来の私のジャズ指向に油を注ぐような音!

決してファイファイな音ではありませんが、ベースもしっかり出ていますしなにしろ熱い!

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