国内外から私の健康を願ってもらい、言葉をいただき、情報を頂き、花やお見舞いをいただきしていると四方八方「足を向けて寝られない」ところばかりになっています。こうなったら逆立ちして、足を天井から吊らねばならなくなりました。
枇杷の葉、ローヤルゼリー、ノニジュース、うこん、ヘンプオイル、ムミョ、深海鮫の軟骨、グラビノーラ、温泉、スッポンスープ、入浴剤、オオバコ、などなどいろいろな情報がありますね〜。私のキャンに御縁のあるものはどれでしょうか?
私としては、復帰して音楽でお返しする「しかない」「しがない」身の上。
普段は使うのを避けている言葉ですがともかく焦らずに「ガンバリマス!」
感謝を音楽に、というと「ストーンアウト」は韓国伝統音楽に対する感謝の意味で書きました。ちょうど同じ頃に、出会った多種多様の中南米音楽に対して私なりに形にしたい、と思うようになりました。いままでアストル・ピアソラさんのカバーを二枚作りましたが、それ以外はなし。
キャンの代替医療成功例で共通するものとして9つ。(ケリー・ターナー「がんが自然に治る生き方」)
ガンでなくてもなるほど参考になるのでは、と思える項目なので引用します。
・根本的に食事を変える
・治療法は自分で決める
・直感に従う
・ハーブとサプリメントの力を借りる
・抑圧された感情を解き放つ
・より前向きに生きる
・周囲の人の支えを受け入れる
・自分の魂と深く繋がる
・「どうしても生きたい理由」を持つ
いくつも重なるものとして「中南米音楽への感謝の音楽を作る」が浮かび上がってきたのです。
アルゼンチンからタンゴミロンガフォルクローレ
ウルグアイからカンドンベ
ブラジルからサンバ・ボサノバ・ショーロ
ベネズエラからメレンゲ
コロンビアからクンビア
ペルーからワルツ
チリからフォルクローレ
マルチニークからワルツ
メキシコ・キューバ マンボ・ヌエバカンシオン
など多種多様。めくるめくという感じです。
身の回りのミュージシャンを見ていて、「私は一生タンゴで生きる」とか「ジャズで行くとこまで行くぜい」とか決められる人がとても羨ましいです。
私がそのように行ききれないのは、なぜ東洋の島国の人間が、「とある」外国の音楽文化だけで生きていけるのか、と思ってしまうからです。
(今は、それこそが徹の頑固なこだわりであって、そこを今こそ、ほぐさねばイケナイということも確かに感じています。)
感謝の音楽を作っても良いのでは無いか、という私なりの理由は:
タンゴならタンゴなど、ある一つの音楽が好きというのではなく、上記したような様々な中南米音楽を(尋常でなく)「好き」である、分け隔て無く愛好しているということこそ、東洋の情報過多な島国の人間だから「有り得る」ことなのではないか、ということです。
こういう姿勢は高場将美さんの影響が有ると思います。グラシアス・オブリガート、ラモーン。
かつて難病に伏せっている友人宅でホームコンサートがあり、中南米音楽を同じように愛好している彼のために、考えたことでもありました。(その時は、大きすぎるテーマのために取り上げませんでした。)
ベネズエラのエル・システマ教育から育ち、世界中で大きな評判と感動を生んでいる「シモン・ボリバルヤングオーケストラ」は、同じような視点でのレパートリーがあります。
シモン・ボリバルさんこそ全南米を1つとして捉えていた偉人です。また、カエターノ・ヴェローゾさんが「粋な男」で取り上げたのも中南米全体からの名曲でした。
さて、私がやるとしたらどうなるどうなる?
さあ、これもやりたい〜。
まずは復帰だ〜。明日は早朝から第2回目の化学療法だ〜。
悠々とやっていきます。ウーム大丈夫!