正しい病

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このところ、またぞろ「正しい」病にやられていました。生活全体が何から何まで規制された入院生活では、ともかく身体のこと中心でした。そのため情報も少なく、即ち、優先順位が自然に明確。ひとつのこと(治癒)に向かってすべてが動いていたのでした。

ところが、自宅に帰ると、自分の思ったとおりにいろいろなことが進みます。食事療法も、食材も、本も、CDも、欲しいものがホトンで手に入ります。高度で的確な情報だらけ、しかも「正しい」情報ばかりです。家族も最高度のケアをしてくれます。(甘えさせてくれます。)

これである意味、飽和してしまいました。

こうこうしていけば良いのだ!それが現時点での最高の情報の結果!ということも加わり、「正しい」病にかかってしまいました。

考えてみると、これって、いままでの私(キャンを育んだやり方)と同じなのですね。

もともと「正しい」ことをすべき、正しさに真・善・美がある、という意識を擦り込まれているので、どうも「ただしさ」の中で安住しがちなのです。「正しさ」で判断停止しているのです。

「正しい」と思った途端に破綻が始まっているわけです。それは音楽生活でイヤって言うほど経験しています。人生でもそうです。懲りない懲りない・・・。

今回のように特殊事情に遭遇するとまたぞろ「正しい」病が出てきたようです。

まず、情報を整理しなければなりません。10の正しい情報に右往左往するのではなく、1の情報を信じる・待つ・聴くことです。

まず朝の体操から整理しました。1000回の腕振り体操を繰り返していましたが(それを続ければ良いのだ、正しいのだ、という硬直)、すべて「即興」体操に切り替えました。とりあえず腕振りをしながら、身体が欲するところに耳を傾け、その動きを即興していきます。その方がはるかに楽しい。

何をやっても良いよ、というのは音楽の即興と同じです。慣れないと単に技術をとっかえひっかえやってしまいますが、身体の声を「聴く」と勝手に動きが分かってきます。
聴く・待つ・信じることがいかに即興に大事かいまさらながらにわかりますね。

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