夜中も、花は絵は書は微笑む。
「そり」が合わない、と言います。もちろん語源は鞘と刀の反り具合が合わないで、刀が鞘にキチンと収まらないことを言います。分かっていますが、私は秘かに違う解釈をしています。「そり」とは韓国語で「音」のことです。常々、人間は「音」だな〜と思うことがあります。ひっきりなしに入れ替わる病院の大部屋で、見ていなくてもあのベッドの人の「音」隣のベッドの人の「音」が確かにあり、際だって特徴的なのです。それは、歩き方の音だったり、呼吸の音だったり、衣擦れの音だったり、手であちこちを触る音だったり、鼻息だったり、トイレのドアを閉める音だったり様々です。しかしその人特有の音があります。(ほとんど音を出さない人もいますけれどそれもその人の音なのでしょう。)
そこから発想して「ソリがあわないな〜」というのを、この人とは「音」が合わないな、と勝手に解釈しているのです。科学ではその人を決定するのはその人固有の免疫システムだという事らしいですが、音の方が私には実際的にわかりやすい。
自分が出す無意識の音はたくさんあります。ほとんどが「ノイズ」です。ダンサーでも、それを無視して「音楽」ばかり求める人もいます。そのダンサーは音楽では無く自分を引き立てる「効果音」を求めているだけだったりするのです。
「音楽」とはその「ノイズ」を消す、あるいは、目立たなくさせるもの、と考えることも出来ましょう。
では、言葉はどうなのでしょう?それは本当に自分だけのものなのでしょうか?しゃべるというのは、自分の口からでる言葉を聞くことという感じが好き です。アイヌ神謡集でよくでてくる「耳と耳の間に座っていると・・・」という感じです。「ああそうか、私はこういうことを考えているのか、」ということが起こるようなお喋りができることはお喋りの醍醐味です。
先日そんな人が見舞いに来てくれました。いろいろとお喋りをしていると、私が言うことにゃ「家族や友人・知人とのわだかまり・こだわり・この人だけは許せない的なものをゆるくさせることが出来れば、ただそれだけで、私のキャンがいてくれたおかげ、気づかせてくれた、それだけでも有りがたいやね。」殊勝なことを考えていたのですね。私は私の所有物ではないのです。
入院後、やむなく睡眠導入剤を使っているので変な時間に目が覚めたりします。はやく無くても済むような精神状態になりたいです。目が覚めたとき、花を見て絵を見て書を見て、願ったり祈ったりして過ごします。朝も昼も夜中も、こちらに応えてくれます。
さてさておまじない大分溜まってきました!暖かい・暑い地域のものが多いようだな〜。
ノーテンキ(スズキイチロウ)
ハクナマタタ(アフリカ・渋谷英利)
ナンクルナイサ(ウチナーグチ)
イロナンショ(伝承・tomoko saitoh )
ジャマイカ(駄洒落)
カマヘンカマヘン(大阪弁・山田いづみ)
マイペンラーイ(タイ語・Akemi Hitomi)
ケンチャナヨ(韓国語)
ジャンガンビンバン(マレー語・ザイ・クーニン)
ノーワリーズ(ニュージーランド・並木節子)
テゲテゲ(鹿児島弁・太田恵資)
ケ・セラ・セラ(フランス語)
レットイットビー(英語・ジョンレノン)
C’est la vie(フランス語)
背骨に息を入れてウーム大丈夫(野口晴哉)
本日の嬉しさ
アンクルアントの野菜・味噌、のどぐろ、陽だまり
ビッチャーズ・ブリュー、サークルパリコンサート、ワルター&コロンビア響/田園・運命、アミルトンジオランダのシコブアルキ集CD・ピシンギーニャ集DVD、ジミージェフリー・ポールブレイ・スティーブスワロートリオのライブ1961音源CDやっとEMANEMより(未発表含む)
本日の副作用
食欲改善(やっと体重60㎏台に回復!)、手足先の痺れ・冷感(室内でも手袋)