鎖骨の下の静脈に点滴ポート設営手術、無事終了しました。今月二回も身体にメスを入れたことになります。緊張しました。異物が身体の中に入っているってことです。順調にいくと本日より点滴が始まります。副作用がどうなるか分かりませんのでこういう投稿ができるのも今のうちかな、と思うので、事の成り行きを簡単に書いてみます。
そもそも「ガン」という発音が良くないですね。濁音がおどろおどろしいし、悪の代表を意味したり、死と直結するように考える「空気」がこの国には蔓延しているような気がします。Cancerから「キャン」ちゃんとかで良いんじゃない?なんて娘と話しました。
私のキャンは:十二指腸癌(癌の0.5パーセントだそうで、さすが徹ちゃんらしい?って、誰?)
特に消化器系のキャンは、生活習慣病であり(遺伝性は1割くらいとのこと)原因は自分の中にある、キャンはそれをつたえるメッセンジャー、という説に共感していろいろと思いを馳せています。現在、野口晴哉さんの著作に惹かれています。
どのくらい遡っていけば身体からのサインが出ていたのか定かではありませんが、少なくともこの2~3年は大変忙しい時期でした。自分でゼロから始め、モーターを回しての仕事がほとんど、(連絡をもらってスケジュールをみてOK、NGという仕事ではないということです。)いくつかは規模がだんだん大きくなり、外国も増え、演奏だけすれば良いというスタンスからどんどんと離れていき、そのために一日中事務をする日々が続きました。演奏の本番がやっとリラックスできる、なんて感じ。しかも仕事の多さと収入は比例せず、助成金を頂く事務も追加。これが大変煩瑣。渡航後に結果発表なんてこともありました。
現地についてもインプロヴィゼーションで各地を転々とする(かつてはそうでした)のとは違って、作曲、編曲、現地のミュージシャンとの折り合いなども大変。今年はドイツで行き詰まり、息詰まり、1週間入院なんてこともありました。日本での仕事にしても一つ一つの内容が全く違い、ゼロから立ち上げるものが増えていました。中身を想像し、共演者・スタッフのスケジュール調整をし、中身を準備し、リハのスケジュール調整し、やっと音楽のことを考え、譜面用意してやっと本番。時間に追われ、納得の準備ができたことはほとんどありません。プラス、本年頭には、大事にしていたグループの突然の休止があり大きなダメージを受けました。楽器の移動のために車でのツアーも増えて行きます。若者からのオファーはできる限り受けるようにもしました。またヨーロッパから来日ミュージシャンとの仕事も重なるようにいくつも来ました。みな、自分が才能以上のものを引き受けた歪みが溜まりに溜まったのでしょう。自業自得。
何か思い当たることがあったら、イヤでも検査したほうが良いかも知れませんよ。
還暦記念ソロなんて贅沢な企画・制作してもらいCDまで作ってもらったり(「TRAVESSIA」発売中です)なんとかこなしながらも(もちろん大いなる発見・歓びのライブもたくさんありました。)時々、大変疲れて歩くのが極端に遅くなったり、神経を使う仕事の時にお腹が痛くなったりしていました。バッハ全曲演奏の時も時間は取ってあっても疲労で予定通りに練習が出来ず、横になる事も多くなっていたのです。
思えば今年の演奏はちょっと雑だったかもしれません。しかしどれも懸命に、気を抜くことなく勤めました。
8月初めに長野県大町の美術フェス(原始感覚美術祭)の帰りに長野市に寄り、知り合いの画廊で飛び込みライブをしました。グループ展中の画家小山利枝子さん・画廊主石川利江さんご両人には長年お世話になっていて、なぜか「私以上に私のことを知っている」という印象を持っていました。
そのお二人と、終演後、打ち上げで話をしたところ、私の体調の話になりました。私としては、2年前の糖尿を医者も驚く自制(糖質制限と運動)で完治した自信もあったのですが、納得のいく演奏ではありませんでした。お二人には演奏をとても歓んで頂きましたが、何か異常を感じたらしいのです。
家に帰ってきて、そんなこと忘れていたら、急に「すばらしい医院が長野にあります。そこでセカンドオピニオンのように診察してもらったら良い。なんなら予約入れますよ。」と突然連絡があり、私のスケジュールを聞いてきました。次に連絡があったときは「~日に予約入れました。泊まるところなど心配しないで来てください」。
なにしろ私に関しては私以上に「知っていて」直感にかけてはとりわけ凄いお二人が言うのだから、行ってみるしかない~、と言うわけで次のツアーの初日名古屋の前に余裕を持って長野を訪れました。考えると本当の命の恩人なのです。
ツアー中、大阪万博公園の温泉で検査結果の知らせを受けました。ほとんどの数値は正常ですが、腫瘍マーカーがほんの少し高いですので、できたら地元の大きな病院で診てもらったら良いのでは、というアドバイスを頂きました。ちょっと驚きましたが病気のリアリティは薄かった記憶です。ツアーから帰り、何日か放っておくと、家族が心配し、病院へ背中を押してくれました。歩いて行けるところに大病院がありました。多くの果てのないような検査・再検査の日々が続きました。
その間も、二回のツアー(車移動・関西、広島まで)遂行、首都圏でもいくつもライブがありました。演奏後疲れていたのはいつもの通りかと、高をくくっていました。京都から帰り、翌日銀座でライブペインティングの音楽をやった次の日、キャン告知だったのです。家族同伴で面談に来てくださいという言葉が引っかかっていて、どこかで「やっぱり。」という気持ちもありました。告知後もジャン・サスポータスさん、森田志保さん、庄﨑隆志さんとの大事なライブを心を込めて行いつつ、土神と狐をかわりにやってくれる熊坂路得子さんにいろいろとお伝えしました。
手術は急いだ方が良い、というアドバイスで2週間後の11月4日に手術。いろいろな仕事のキャンセルがそれはそれは辛かったです。私の状態は想像以上に悪く、患部が他の臓器や大きな血管に絡んでいて摘出断念。胆嚢を切除、胆石を摘出、胃を切って胃と腸を繋げるバイパスを作って閉めました。術後の痛さは私の人生最大で一回は失神。女性のお産もかくなるものか、と思ったり、拷問に私は弱いだろうな、なんて思ったり・・・。退院後、食欲はあるのに目だけで、実際は嘔吐感と闘いながらお粥を啜っていました。情けない感じ。身体から取り出した胆石の「美しい」色に「これって松脂にすれば良い音でるんじゃない?」などと言う娘はたいしたもんだ〜。家族二人とも手術を見学したそうです。血を見るのがキライな私にはとうてい無理。
知り合いのツテで幸運がいくつもいくつも重なり、研究・実績とも最高峰の病院へセカンドオピニオンを受診。そのまま診療になり、入院して現在に至ったのです。
ともかく前向きで、我が内なる力を信じ、人を信じて日々を過ごしたいと思っています。