イサベル・デュトア@バーバー富士

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恐るべし、イサベル・デュトア

先日の充実したLIVE(久田舜一郎・庄﨑隆志・イサベル・徹)の後のデュオ。
台風もあり、郊外であるので、本日ここに集まる聴衆は特別です。何の躊躇いも無く、思いっきりインプロが出来ます。

車のトラブルがあり開場時間に遅れて到着。
すぐに楽器を出して身体と心を慣らしているとイサベルさんもクラリネットやボイスで極度にコントロールされた音を出してきました。高次倍音を楽しめそう、と本番に臨みます。彼女もそれを予知してか、演奏中エアコンを切るように要求。普段からバーバーでの演奏は針が落ちる音さえ聞こえる状態です。準備はOK。台風一過の高湿度さえ何のその。

音の探り合い、アンサンブルの楽しみを経て、熱気を帯びてくると、イサベルさんは、ギアが入っていくようにドン、ドン、ドン、ドンと深くなっていきます。探りや楽しみのレベルをあっと言う間に越えてしまい「いったいどこまで行くのだ?」と思うほどでした。

(あんなに)熟達したクラリネットでもまどろっこしいのでしょうか、ヴォイスの演奏が直接的な速度を持っていました。凄みさえ有ります。そうです。彼女は巫女・シャーマン。

彼女の心の闇は、相当に深いものがあり、まさに彷徨う魂です。その中で、日本の伝統・自然に惹かれて通いつめ、居合い・義太夫・大鼓・禅などを習って来ました。高野山では理由も無くずっと泣きっぱなし、熊野古道にも深く感動したそうです。彼女をそうさせ、クラリネット・ヴォイスで即興をさせる何か。彼女の身体を借りて表現させる「何か」。その「何か」が命じることに従わないと、生きる意味がないとさえ思っているかの様です。明日は、八戸へ行ってイタコに会ってくることになっています。何か凄いことになりそうですね〜。心からの親友・師匠を亡くしたと言うことですから、そんなことと関係してくるかも知れません。

今までの8年間は、日本のファンだった。しかし、これからは違う、と宣言していました。これからは自分の道を行くために日本に来ると言うことです。演奏機会が増えそうで素晴らしいことだと思います。日本はこれから低空飛行でしょうが、彼女のようなミュージシャンを受け入れる土壌だけはキープしたいものです。

オペラより、能を聴いた回数は多いという彼女は、一昨日の久田舜一郎さんとの共演を心より歓んでいます。久田舜一郎さんの何処までも低く、どこまでも高く伸びる声、それに対する答えのような本日のイサベルさんの声。超低域から超高域まで自在です。その意味でもクラリネットよりも幅が有るのでしょう。

彼女のノイジーなヴォイスを聴きながら、これはひょっとしたら日本の「わび・さび」に相当するものかもしれないと思いました。バロックやゴシック、ロマン、近現代音楽を経て練り上げ、築き上げた西洋音楽。その美意識の反対側のノイズ、インプロヴィゼーションは、絢爛豪華な桃山文化に対する「わびさび」と似たものがあるのではないか?と初めて意識しました。 反対方向から真実を見いだす。すばらしく築き上げた分だけ反対方向のノイズも深い訳です。

日本には、「泣女」のような派手な演出はないし、「恨」を「楽しむ」こともできませんが、繊細な感覚での遊びは多種多様です。「しどけない」という感覚・美意識も有ります。

今年3回と演奏の場を提供してくださったバーバー富士には感謝に堪えません。ありがとうございました!

喜多直毅・齋藤徹 ヨーロッパ帰国報告デュオ
ジャック・ディミエール、齋藤徹デュオ 喜多直毅飛び入り
イサベル・デュトア、齋藤徹デュオ

どれも印象深くおぼえています。2016バーバー富士としてまとめたいとさえ思ってしまいました。

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