ソロCD選曲中の大きな気づきに後を押されながらのポレポレ坐徹の部屋vol.40「ディスタンス」終了しました。
心にそ~っと、ず~っと暖めておきたいような貴重なLIVEでした。久田舜一郎・イサベルデュトア・庄﨑隆志さんというそれぞれ私との個人的に繋がっていた3本の糸が交差しました。滅多に無い組み合わせからは滅多に無い出会いと感動を生みました。決して「One of…」ではありませんでした。
本当に嬉しい時間。40回続けてきたポレポレ坐にも感謝。昨日が私にとっての帰結であり出発です。
庄﨑さんは早くから会場入りをして演出家・俳優・ダンサーとしての様々な思惑を巡らせています。かたほうだけ履いた足袋、帯、手ぬぐい、笠、選びに選んだ結果なのでしょう。彼から送ってきたプロフィールには彼が聾であり、「聞こえない」人であることは書いてありません。そういうバイアスで見ないで欲しいという願いなのでしょう。何回も何回も起こった音と動きのシンクロ。初めて彼をみた人は彼を聾者とは思わないでしょう。
彼に言わせると久田さん・イサベルさん・私の音が「天から」「地から」彼を押してくる、それに従って踊っている、とのことでした。「聞こえなく」ても「聞こえている」のです。
イサベル・デュトアさんは京都から直行。2011年秋の同志社大学「寒梅館」以来です。あの時も自費で来日していて、九条山のレジデンスだったベルトラン・ゴゲさんと参加。ミッシェル・ドネダ、レ・クアン・ニン、とフランスでもありえない顔ぶれでした。早々にクラリネットを試奏。これぞ、クラリネットの音!です。クラシック、現代音楽のヨーロッパ第一線で鍛え抜かれた音!西洋音楽の行き着いた音!この先を求めたインプロの音であることが一聴、理解出来ます。
試奏の時の豊潤なクラリネットの音は共演者・スタッフにのみ聴くことのできます。それはミッシェル・ドネダも同じ。基本的に楽器を鳴らす純音・そしてインプロの時の異音。それらがしっかり繋がっていることは明らかです。自ずと分かるのです。
そしてクラリネットの延長としてのヴォイス。完璧にコントロールされたインプロボイスは見事と言うほかはありません。ローレン・ニュートンさん、シャルロット・ハグさんと同質の最高レベルのヴォイスです。なんちゃってインプロヴォイスとは全く異質。
久田舜一郎さんは長野から車移動。さぞかしお疲れのことと思われますが、こういう小さな会、そしてインプロの会にも歓んで参加してくださいます。本当に希有なことです。感謝せねばなりません。涼やかな麻のお召し物に着替えるや、気が甦るようにお元気になります。ああ、この人の身体を借りて、何かが演奏しているのだと思われます。第2部で全ての音が終わった後の長い長い沈黙を聴衆と演奏家、皆が堪能しました。やおら「三井寺」の一節を久田さんが謡い、終了。見事でした。正座して聴いてしまいました。
久田舜一郎さんは飽くなき好奇心でこういう会にも参加してくれます。そこには、底知れぬ孤独と渇望があるのかも知れません。
日本に引き寄せられるように何回も来て、伝統文化に触れ、自然に触れるイサベルさん。あの(普通の)クラリネット演奏・技術だけでも十分世の注目を浴びて楽しく暮らせるでしょうに・・・それ以上の何かを求めて彷徨う心。
聞こえない世界から「音」を求め、耳で無い聴覚を研ぎ澄ます庄﨑さん。手ぬぐいで目を隠してのシーンも有りました。視覚も無くしてみる。感覚とは何なんだ?何もかも無くしてみる。
水平に流れる「時」の流れを停め、瞬時に垂直に3次元に伸びていく別のベクトルの「時」。それは「音楽」が終わった後に「音楽」が始まるということと近い、あるいは同じ?なのかも知れません。
全く違う4者、聴衆・スタッフと共有したこの「麗しい」ディスタンスは、限りなく遠く、限りなく近い。対蹠点のように「とらよとすれば、その手から小鳥は空に飛んでいく」。自己表現を追い求めていては手に入りません。
フォルテシモはピアニシモに姿を変え更に強く、ピアニシモは聞こえないほどの強度を持ちそっと探り打ち、無音に願いを託し、それぞれの歌を歌う。誰かに歌うのでは無い。自分に歌うのでも無い。
届け!届け!届け!
明日22日 上尾バーバー富士でイサベル・デュトアさんと私のデュオLIVEが有ります。
これは貴重です。
http://members.jcom.home.ne.jp/barberfuji/
(362-0034 埼玉県上尾市愛宕2-12-17 JR高崎線上尾駅東口より徒歩10分 )
(上野から高崎線で35分,新宿から湘南新宿ラインで40分)
(tel 048-772-2175)
開場 18:30
開演 19:30
視聴料 4000円
終演後参加費無料の打ち上げがあります。