7月8日ソロリサイタル用の選曲していると その4
さて、ジャズどうしよう?
音楽を始める切っ掛けだったわけですから避けられないか~。
日本の音楽・芸能事情を長い間牽引してきた多くはジャズ・ミュージシャンでした。才能と情報とおもしろがる性格、自然と、余裕のある良家の子弟が多かったようです。クレイジーキャッツ(高柳さんとハナ肇さんの関係)、ナベプロ、大橋巨泉、タモリ、中村八大、前田憲男、植草甚一etc. エノケンと土方巽、ドドンパやマンボなどリズム歌謡、美空ひばり、山下洋輔と筒井康隆・赤塚不二夫などなど話題は尽きません。
ビートのこと、和音のこと、jazz史のこと、黒人運動のこと、ショービズのこと、身体性のこと、いろいろな切り口が可能でしょう。さて、今回どういう切り口で選曲しましょう・・・
チャールス・ミンガス、随分と聴きました。真似もしましたが一向に近づかない。しかし、ある時、ガット弦というものを手に入れて張ってみるとあの音になりました。ミンガスのハイチの闘いの歌、ポール・チェンバースのイエスタデイズの音になったのです。
なんだ、そういうことだったのか・・・。そうやってガット弦、フレンチ弓、バイオリン用松脂、エンドピン、テールガット、ナット、サドルなどを自分で試行錯誤してやっと今のセッティングになりました。
実は、この方向は、過去に戻る方向です。「進歩・発展」の逆行です。さらにいえば「効果」への逆行でもあります。なんせ、弾きにくい、音が小さい、ムズカシイ、下手に聞こえる、高価である、など何十苦も背負っています。特に「下手に聞こえる」というのが「耐えがたく」諦める人は多いです。みんな「上手く」なるために練習し、時間とお金をかけ、人生まで賭けちゃったりしているわけです。
しかし、しかしです。この音色・音質にやられてしまうと後戻りできないのです。実際、この楽器は長い間ガット弦とともに育ってきました。スティール弦(鉄・タングステン・ハイブリッドなどなど)は70年位の歴史しか有りません。
安い・音が大きい・輪郭がハッキリして聴き取りやすい・弾きやすいなどの条件を敢えて否定するのは「発展」に寄与しません。安価な楽器でも大きな音が出て(仕事になり)、アンプを使えばもっと場は増えます。民衆の楽器たり得ます。
それを否定しようというつもりはさらさらありません。
経済にも効果にも逆行する1つの例としての切り口を提案してみます。
高価な楽器を手に入れ、借金を払い続け、弓、弓の毛、弦、松脂、その他も厳選に厳選を重ねてこそ得られる「何か」があると信じます。誤解のないようにして頂きたいのですが、これはエリート主義ではないのです。たとえば、そんなことは全く気にしないでどんな楽器でもどんなセッティングでも楽しく演奏することができますし、やる自信があります。素材が手に入りにくい世の中になってしまったので高価になっているわけです。元はそれしかなかった。バール・フィリップスさんに譲って頂いたこのライオンヘッドの楽器にしても、今でこそ貴重な楽器(私には過ぎ物!)ですが、かつてはパリのコンセルバトワール(音大)の1備品だったわけです。使用している弓はヨーロッパのロマ(ジプシー)の口利きで手に入れています。元々、家具のような木の箱に、ヒツジの腸の弦を張り、馬の尻尾に、松の脂をつけて、音を出していた「民族楽器」です。私は21世紀の極東の島国での「民族楽器」を夢見て弾きたい。
1に経済、2に経済、3にも経済と自信たっぷりに連呼する首相をもっている我が国では、認めがたい、有り得ない存在なのでしょう。効果追求の中で、利潤追求の中で、忘れられてしまう「何か」。
人生の中で経験していなくとも「記憶」というものがあるはずです。その記憶に訴える「音質」が確かにあります。効果の中で「憂さ」を「忘れさせてくれる」ものでなく、経験していない記憶を「思い出させてくれる」音がある。経済・利潤追求にあくせくせざるを得ない世の中で、そんな時の流れを停める何かがある。そこは「倍音」と「ノイズ」が渦巻いているはずです。
そんな切り口から、ミンガスの曲を考えておきます。演奏となると当然、ビートのこと、前拍のこと、身体性のこと、呼吸のこと、ブルースのこと・・でてきますわ、そりゃね。