ブッパタール入院記1

2016-04-24 19.49.36 2016-04-26 14.30.03 Unknown

 

結果が良かったのでこうやって書けます。嬉しい限りです。
実は5泊6日でブッパタールの病院に入院していました。今朝退院し、そのままリハーサルに駆けつけ、カテーテルのために右腕が利かないのでピアノで参加して今、ジャン宅へ帰ってホッとしたところです。寒い寒い。息が白く、ジャンに手袋を借りました。

今にして思えば、出国前1ヶ月ころすでに体調悪い上に、「過度の」心配性+「不必要な」責任感が重なり、それが閾値を超えてしまったようで、身体から緊急 血糖値急上昇。2年前の発病のころを含めてさえ、かつてない高さを表示。焦る焦る。まだまだ大事な仕事がヨーロッパで1ヶ月続くので 迷惑をかけてはならじと、病院嫌いの私が進んで休日診療の病院に行きました。せっかくの久しぶりの休日のジャンには付き合わせてしまい申し訳ないです。なんとか話をしてインシュリン注射を処方してもらって帰ろうと思ったのです。

そうは問屋が卸しません。簡略な検査をした結果、一泊入院してくれとのこと。ドイツ語を全く解さない私としては不安がかなりありましたが 埼玉医大に行っていたドクターがいたりとか、3人目の看護師のお名前がピナさんとかで少し楽です。ジャン宅から歩いて10分だし、タトゥー入りの看護師さんがいたり ずっと歌っている黒人看護師がいたり自由な感じが嬉しいです。なにか予感していたのか、家族が旅行保険に入るよう執拗に言っていたので入ったことの無い保険に成田で入っていたことも大きな幸いでした。

自閉症プロジェクトもこの一週間はリハーサルだけで本番が無いことも本当にラッキーでした。リハーサルでは最も頼りになる直毅さんが私の代わりをしてくれるとの力強い言葉。幾つかの変更点や試しを伝えておけばいいのです。また、リハーサルの進行が思いの外、早く進んでいて、音楽も9割方決まり、ランスルーもできている段階であること、などなど望外の好条件。リハーサルは欠席せざるをえませんが、くり返しくり返し「これでいいのだ」と自分に言い聞かせます。「これが良いのだ」「これしかないのだ」!実際、この期間しか休むことは出来ないのでした。

観念してベッドでおとなしくしていると10分もたたない内に緊急ブザーがけたたましく鳴ります。ああ、誰か 大変な状況になったのかなと思っていると、私のところにどっと看護師 ドクターが来るではありませんか。心拍が極端に低いということで、あっという間に緊急病室へベッドのまま移動。病院の天井をみながら走り去る風景を見るのはとても刺激的です。私本人は自覚なく、他人事。しかしこういう風にあっけなく死んでいくのかもね、ともどこかで思っていたりも。大変冷静なのでした。

ブッパタールという地名を初めて聞いたのはジャンでもピナでもなくチャールス・ミンガスでした。ENJAレーベルから出ているMingus in Europe vol.1, vol.2 はブッパタールでのライブです。ドルフィーが参加したこのグループのヨーロッパツアーは様々発表されていますがほとんど名盤です。パリのライブは高校生以来聴き続けていますし、ノルウェイのライブ映像は動くドルフィーを初めて観た映像でした。(レーザーディスク)ドルフィーはそのままヨーロッパへ残り、オランダでの「Last Date 」録音などいくつか仕事をして2ヶ月後ベルリンで客死してしまいました。ドルフィーの死因は私と同じ糖尿病。亡くなる前夜にはコカコーラ(に含まれる糖)を求めて街をさまよったと言います。そんな単なるジャズファン的情報も頭をかすめます。私とドルフィーを比べたら数多のドルフィーファンに怒られそうですが・・・

2年間近く全く大丈夫で注射も薬も無しだったのになんで今ここで再発したのか?思い巡らします。
最初の発症は私の人生最大の波乱万丈のオペリータ「うたをさがして」ツアーの後で、ジャンさん日本ツアー(ジャンさん北海道行きを含む)、セバスチャングラムスの非常に煩瑣な録音「thinking of…」の後でした。(苦労の甲斐も有ってこのCDはヨーロッパで大きな賞をとりました。)

今回は、年をまたいだ「うたをさがしてトリオ」ツアー、DVD「ダンスとであって」CD「6trios improvisation with TETSU & NAOKI 」「Choro & improvisations」の発表、バッハ無伴奏全曲演奏、ブッパタール自閉症プロジェクト、 フランス スイス ドイツ内ツアー 宿泊場所 移動 コントラバス移動、ギャラ、バス、汽車、の多くの不確定要素に加え、11月のパリのテロの影響でヨーロッパでの日程さえなかなか確定しません。日本サイドでは、渡航費助成金結果待ちわび、2ヶ月付き合ってくれる直毅さんに満足いってもらえるものになるか、などなどやはり想像以上のストレスがありました。

もう無理のきかない歳と身体だとしっかり認識しないといけません。なけなしの才能でやっとやっているのですから、大事に大事に世のため人のため家族のため自分のために使わねばなりません。

緊急病室では、数本の電極を上半身に取り付け常時監視、2時間おきに自動的に血圧が測定され(2時間毎に腕に巻かれた空気が膨らみます)、注射、血糖値は真夜中でも明け方でも随時計測してくれます。ちょっと困るのは尿瓶生活と寝相を変えられないこと。これだけでも「自由」のありがたさをしります。こういう状態を「アンダーコントロール」というのですよ。

そして、外は、本当に雪‼️

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です