意味から

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意味から

コトバの意味は、まとわりつき、制限し、閉じ込め、不自由にします。逆からみれば、安心や安定をもたらし、インスピレーションを刺激します。また、そこから自由になるためにコトバを厳選したり、純度を上げたり、不条理やカオスにもっていったり、ヒトの行為として多様で面白い。
しかし、まとわりつき、制限し、閉じ込め、不自由にする側面は必ず存在します。

このところ「うた」や「詩」「美術」「演劇」と関わることが多く、そんなことを感じる日々です。

そんな中、先日の七針「sound poetics」では、主催の木村裕さん(ピアノ)がギリシャの詩人リッツォスの詩を、私自身が吉田一穂のコトバ(詩とエッセイと童話)を朗読しての即興演奏でした。

やっぱりずいぶんコトバの意味に引っ張られました。純度の大変高いと思われる一穂さんのコトバにしてさえ強く強く意味に引っ張られました。普段使わないような難しい単語が多いのでその意味を伝えるべく工夫しなければならなかったのでますます意味に囚われたのかもしれません。

意味とは「分かる」「分ける」ことであり、確定することです。そして確定した後はもう考えないことかもしれない。刻々と移りゆく時間とは馴染みません。喜怒哀楽は表現ではない、と太田省吾さんが書いています。喜怒哀楽に収まらないものこそ表現だということでしょう。太田さんが台詞の無い無言劇をやっていたことと関係があるのでは無いでしょうか?

思い起こせば、私は、コトバのしばりや意味の重さがどうにもイヤでそこから逃げるように器楽の演奏ばかりをやっていました。日本人そして日本人以外のミュージシャン・ダンサーとの深いつき合いもその恩恵にあずかるところが多かったはずです。

それならそれでずっと行けばいいじゃない?とも思いますが、やはりコトバが必要になるのです。それも日本語がです。

「人生そのものが即興なのだから、なぜ舞台で即興をやるんだ?」という問いを土方巽さんはしたと言います。

意味から遠く離れること、意味の内部に入ること、ベクトルは正反対を向いていてもどこかで出会う可能性がある、あるいはアフォーダンス(整体心理学)の視点を取り入れると良いのではとも思います。

もう一つ言えるのは、私が今・ここで、一穂を読んで即興することに「意味」があるのか?
自分にしかできないことは何か?という動機で即興を選んだのに、とても好きだ、惹かれるというだけで他人のコトバを使う理由はどこにあるのか?啓蒙?バカな・・・

木村裕さんは詩人であり、美術家であり、作曲家であり、ピアニストです。彼にとっては矛盾無くことが運んでいたような印象でした。

しかし私はコトバに翻弄されるような時間でした。

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