広島 12月17日
黒田敬子さん主催の広島公演に毎回のように聴いてくださるある方がその度ごとにCD「Stone Out 」と「Ausencias」にサインを頼んできます。もう10以上になっていました。ソロ、デュオ(with ジャン・サスポータス、ミッシェル・ドネダ、バール・フィリップス、セバスチャン・グラムス、井野信義)トリオ(with ミシェル&ニン、バール&井野、ミッシェル&鄭喆祺、ジャン・サスポータス&オリヴィエ・マヌーリ)オペリータ(ジャン・サスポータス、オリヴィエ・マヌーリ、松本泰子、さとうじゅんこ、喜多直毅)。そこに今回のトリオが加わりました。
もはや「やってくれてありがとうございました!」を軽く越えていて、逆に「何を持って行くか」が私にきびしく問われている感覚になっています。
初対面は広島現代美術館(爆心地・比治山にあります)のアバカノヴィッチ彫刻購入記念(背中が47体、野外に設置)でした。館内ではアンゼルム・キーファーの展覧会があり、スゴイ時間に居合わせたことになります。アバカノヴィッチ展では、元藤燁子+アスベスト館、私と沢井一恵・伊藤啓太。この映像を気に入ってくれたアバカノヴィッチさんとワルシャワ公演をすることになったのかと記憶します。
アバカノヴィッチさん自ら振付を送ってきました!(なにせずいぶん前のこと。私は箏の水谷隆子・菊池奈緒子と参加、アウシュビッツを訪問したり、タデウシュ・カントールのスタジオを見学したり、エリザベート・ホイナッカコンサートに行ったりの旅でした)。
その時、アバカノヴィッチさんに共感し作品も所有している美術家として黒田さんにお目にかかったのでした。ご両親とも被爆されています。ソロCD「invitation」のジャケット画を提供していただいたり、ザイ・クーニンとの岡本太郎美術館公演用にザイの衣装も提供していただいたり、「オペリータうたをさがして」の広島公演(@ゲバントホール)はCDになりました。また、福岡アジア美術館オープニング、ユーラシアンエコーズ第2章、バーバー富士100回記念LIVE、バール・フィリップスwithベースアンサンブル弦311のLIVE、一歩ツアー@京都には遠方より駆けつけてくださいました。
しっかりと対面して聴きたいということで毎回響きの良い小ホールを選んでくださいます。このくらいの大きさ(150席)と響きをもつ公共ホール(高価ではありません)、ほんとうに羨ましいです。こういうホールこそ、首都圏にも必要なものと確信します。毎月でもやりたい気持ちになります。
今回は絵画を3点持ってきていただきました。また、私のドイツ以降の多忙と長距離運転を気遣ってご自身も通われているジムのトレーナーの予約を取っていただき、私が悶絶している間、おふたりは日帰り温泉に行って、まさに準備OK。
長年続けてきているためでしょうか、客席には、求める人が自然に集まってきているような印象があります。タイトルにいただいた「ヒロシマに降りそそぐうた」を思いつつジックリ演奏させていただきました。
アメリカ・ドイツ・ソビエト・日本の原爆開発競争や、キノコ雲の下で何が起こっていたのかを最新の映像技術で解析したドキュメンタリーが公開され、広島を題材とするオーケストラ曲が特集され(ゴーストライター曲ではありませんよ)ている状況に私たちの歌はどう響いたのか?
フクシマ由来のオペリータからの楽曲、列強に翻弄されたギリシャ現代史に深く根付いたアンゲロプロスからの楽曲を「うたう」「おどる」というポジティブな要素を忘れずにどこまでできたでしょう?個別的・特殊なものがどれだけ普遍的なところまでベクトルをむけられたでしょうか?
クセニティス(どこへいってもよそもの)・・・・いつどこへいっても難民です・・・・国を追われた私の小鳥は・・・ここは私の家の跡、もうもどれない安らぎの跡・・・なげくすべもないかなしみ・・・こんなにもはやく、こんなにもとおく、へだてられ、はなされて・・・お前と共に生きよう・・・
アンコールではツアー中唯一「アルフォンシーナと海」を演奏。やはり「女性」が大きくフィーチャーされた会になっていました。演奏後は直毅さんの大好物かつ広島名産の牡蠣土手鍋をご馳走になりました。
2ヶ月前滞在していたドイツにはシリアから難民が大勢来ていました。少なくとも我々は今、こうやって音楽を演奏し、聴いてもらい、美味なものを味わい、談笑できる幸せ、そして実際に今・ここで出会えている奇跡を思わずにはいられませんでした。