レッドベリースタジオでの一歩

MAH04380.MP4 2015.06.10 06.57.53.617

レッドベリースタジオでのパフォーマンス

雷さえ伴う雨でした。寒いです。京都・東京と30度超の日が続いていましたが、北海道に来てこのところずっとTシャツ2枚(半袖と長袖)、シャツ2枚(スタンドカラーと普通のカラー)、ウインドブレーカーの5枚重ね着ですが、まだまだ寒いのです。ビックリでした。ともあれ、洗濯したり散歩したりしながら公演時間を待ちます。さて、毎回楽しみなデュオLIVEですが、今日の新しいことは、ジャンとのショートピースを2演目やることです。(旭川でも2回やる予定)

ユーモア(ヒューマニティ)満載のこの演目がどのように受け取られるか、こちらも興味津々です。レッドベリーでは演劇者・ダンサーが多く、かたるべ美術館ではハンディキャップが多く、モケラモケラはモケラと共に成長してきた人が多いわけです。それぞれ楽しみです。

おそらくテレビの悪影響かと思います。「笑わす」ためにやっているという短絡が蔓延している気がします。アメリカで「カフェ・ミュラー」をやり始めた頃、ジャンが椅子をどけて、ピナが夢遊病者のように移動するのでさえ、「笑かす」ためにやっていると聴衆は思い、「善意」の笑いをしたそうです。今、日本はそれに近いと思われます。なにか笑いを誘うような仕草をするととりあえず「笑う」。テレビだと笑い声だけをディレクターのさじ加減で差し挟み、それに約束通り釣られて笑う。そうしなければ取り残されるような恐怖さえ伴う。

私たちは、笑かすためには時間を一秒も使いません。そんなために歳を取ってきたのではありません。そんなために苦労して来たのではありません。ヒューマンの語源は「臍」らしいです。臍を見ていると愛らしいです。それこそユーモアでしょう。人を小馬鹿にする笑いであるはずはありません。優越感をもつための笑いであるはずはありません。人を愛おしむ、人生をポジティブにするそんな感情です。談志が言った「業の肯定」、枝雀の言った「緊張と緩和」も近いかもしれません。

そして「ディーバ」@かたるべ美術館では、笑い声は一切でず、ジャンを不安にさえさせ(受けいれられなかったのではないかと)、さらに最終のモケラモケラでは、私たちの考えるユーモアの要素が強調され今までに無い展開になりました。とっても、嬉しく、ディーバが哀しかったです。

レッドベリーでもだんだんと私たちの意思は浸透していき、ディーバにつづくインプロではいくつも生と死・歓び・哀しみ・諦め・希望が現れては消えていくような展開になりました。あっと言う間の時間、そして、ジャンがヴェキア(おばあさん)に着替え、台の上に飛び乗り私に演奏をさせます。ここで私が「ふりかえるまなざし」を歌うことができれば文句ないのですが、あいにく、歌えません。多くの人のご指摘通り、私の歌はまだまだ歌いにくいのです。しかたがないので、詩集を手に取り朗読、その後、メロディーを弾きました。最後の「ねばり強く~」のところは何回かかそけく歌いました。

レッドベリーのスタッフ・サポーターたちと打ち上げ、少し深い話にもなり、楽しく時間が過ぎていきました。

考えて見れば、ミュージシャンとダンサーのツアーという形式自体がまだまだ定着していないのですね。9年前に私たちが始めた時も今でもあまり例が無いというのも残念なことです。

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