ジャワのかたちとコントラバス

佐草001 佐草002 DSC03208 DSC03213

なごりの月〜ジャワのかたちとコントラバス

舞:佐草夏美
コントラバス:齋藤徹

たちあらわれた
音と舞いには

いきさきがあり

互いに出会いを
願っている

2015年4月30日(木)
19:15 開演
マスミ東京・スペースMURO
JR山手線大塚駅北口より 徒歩6分
都電荒川線巣鴨新田より 徒歩3分

2500円 要予約
お問い合わせ・申し込み
042(860)2884(佐草)
jasminrule@yahoo.co.jp

蝋燭の明かりのみの暗い舞台。
1時間。
何を演奏しても良い。

という条件のもと3回目のお誘いをいただきました。
そして昨年の会は、私の病気告知の翌日だったということ。感慨深いです。
あれから1年か・・・・
見てくれはすっかり別人のようになりましたが、中身はあまり変わっていません。

ジャワガムラン、毎回少しずつでも理解しようと試みます。
音階であったり、歴史であったり、リズムであったり。しかしいつもいつも思うに任せません。(フラメンコのお誘いと同様です。スミマセン)

今回は、打ち合わせの時1つヒントを頂きました。

ジャワガムランの踊りは「表現」を押さえる、ということ。
踊りたい気持ち、表現したい気持ち、それは人に伝えたい気持ち、観て欲しい気持ち、共有したい気持ちでしょう。

しかし

それをしては「品」がないとされる。

もともと女性が王様のために踊るのですから、押さえても押さえきれないアピールもでてくるでしょう。

そのせめぎ合いが踊りを深くしていくのでしょうか。

「表現しない」というと思い出すのが鈴木昭男さんです。初めてのセッションの時、そのことが頭にあって、私は「表現をしない」という表現をしてしまいました。

能面を使い、顔の表現を不可能にしたのに、無表情のはずの面があらゆる感情を表すのと似ているかも知れません。

単なるエンターテイメントとは一線を画します。

土方巽さんは、下手なピアニストをわざわざ選んで使ったことがあったそうです。「侘び・寂び」「しどけなさ」「へたうま」の考え方にも近い発想かもしれません。洗練を目指し、より高みへ行こうとした芸術の歴史には馴染まないのかとも思いますが、日本の、あるいはアジアの表現にはついて回るのかもしれません。より高度な表現をするよりは、そもそもの根本を問う、という文化があるのかもしれません。インプロビゼーションが意外なほど日本で馴染みやすいのも関係している気がします。

そんなことを考えながら、いや、考えるのを止めて、その場に臨みたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です