きれいさがうつくしさにかわるとき

10269241_971957352844509_4374216659761736286_o     「きれいさからうつくしさへ」 というコトバ(渡辺洋作 ふりかえるまなざし)が多くの人の心を捉えました。「いずるば」の上映会の時、朗読させてもらった後、多くの人から出典を聞かれました。書家はこの詩を書きたいといい、ジャワ舞踊家は詩集を購入しました。 私がこのことばを聞いてまず連想したのが岡本太郎さんでした。同じ主旨のことを言って安穏の世にアジテーションを飛ばしてしていました。もうひとりがニコラウス・アーノンクール(オーストリーの指揮者・ガンバ、チェロ奏者)さん。貴族の家系というヨーロッパ伝統文化のど真ん中出身。以下の抜粋のなかの「美しさ」は洋さんのいう「きれい」ということでしょう。ほとんどノイズ論のようにも受け取れます。 「音楽がもはや人生の中心に存在しなくなってから、全てが変わった。装飾としての音楽はまず第一に〈美しく〉あらねばならない。音楽はけっしてわずらわしくてはならないし、人間を驚かしてもならないのである。現代音楽はもはやこうした要求を満たすことはない。なざならそれは、あらゆる芸術と同様、すくなくともその時代、つまり現代の精神的状況を反映しているからである。しかしわれわれの精神的状況の誠実で仮借ない批判は、ただ美しいだけではありえない。それはわれわれの人生をえぐり出す、つまり煩わしいものとなる。こうして人々は、それが煩わしい、あるいは場合によっては煩わしくあらねばならぬという理由で現代の音楽から遠ざかるという、矛盾に満ちた状況が生じた。・・・ 〈美しさ〉とは,あらゆる音楽のもつひとつの構成要素である。われわれは他の構成要素を無視する場合にかぎって、美を特定の判断の基準として用いることができる。われわれが音楽を全体としてはもはや理解することができなくなって、いやもしかしたらもはや理解しようと望まなくなって、はじめて音楽をその美しさにまで引き下ろし、いわばアイロンで平らに引き延ばしてしまうことが可能となったのである。」(音楽之友社「古楽とは何かー言語としての音楽」アーノンクール著 樋口隆一・許光俊訳) いっぽふみだす、ことには勇気が必要です。友人、家族、知人を失うかも知れない。現れないかも知れない遠くの友人の出現を待ちながら孤独に耐えなければなりません。素速く逃げて立ち去りおのれを守るのではなく、遠い目をしてその場に立ち止まっています。 大量の信じる力・待つ力・聴く力が必要になります。 本日、共演する今井和雄・喜多直毅さんは出自や経験は全く違いますが、一歩踏み出す、はみ出すことをしてしまいました。 ■日時:2015年4月15日(水)19:00 open / 19:30 start ■出演:今井和雄(ギター)喜多直毅(バイオリン)齋藤徹(コントラバス) ■料金:予約3,000円/当日3,500円(ワンドリンク付) ■予約:03-3227-1405(ポレポレタイムス社)Email : event@polepoletimes.jp ☆今井和雄(ギター) 70 年代から即興を始め、1991年サウンドインプロヴィゼーションシリーズ「ソロワークス」を開始。1997年より集団即興の為のプロジェクト「マージナル・コンソート」を企画。2005年に鈴木學(self-made electronics)、伊東篤宏(optron)と「今井和雄トリオ」を結成。2014年から不確定な作品の公開練習「リハーサル」を大崎l-eで開始。その他、国内外で活動している。 ☆喜多直毅(ヴァイオリン) 国立音楽大学にてヴァイオリンを専攻後、英国にて作・編曲を学ぶ。その後ブエノスアイレスにてフェルナンド・スアレス・パス氏のもと、タンゴ演奏法を学ぶ。タンゴ演奏家としての活動後、翠川敬基(チェロ)、常味裕司(ウード)、鬼怒無月(ギター)各氏のグループに所属し活動。近年は自身の四重奏団およびヴァイオリン独奏に力を注ぐ。ヨーロッパを中心に海外公演も数多い。他に齋藤徹氏(コントラバス)のプロジェクトへの参加、黒田京子(ピアノ)とのデュオでも活動。 ☆齋藤徹(コントラバス) 舞踊・演劇・美術・映像・詩・書・邦楽・雅楽・能楽・西洋クラシック音楽・現代音楽・タンゴ・ジャズ・インプロビゼーション・韓国文化・アジアのシャーマニズムなど様々なジャンルと積極的に交流。ヨーロッパ、アジア、南北アメリカで演奏・CD・DVD制作。 コントラバスの国際フェスティバルにも数多く参加。コントラバス音楽のための作曲・演奏・ワークショップを行う。齋藤徹・喜多直毅・さとうじゅんこの「うたをさがしてトリオ」では2作のCDを発表。自主レーベルTravessia主宰。

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