開け!扉
乾千恵(物語・うたのことば)齋藤徹(作曲)のオペリータ「うたをさがして」DVD/CDリリース記念LIVE終了しました。
千恵さんの「扉」に見守られながらの舞台は「夢のように」通り過ぎました。
パフォーミングアーツ(身体表現)は、生きている人間が集まっているというリアリティと、作品とのせめぎあいなのだとつくづく感じました。
今を懸命に生きている歌い手・演奏家が何人か集まる、というだけでもの凄いリアリティが出現します。まさに「いま・ここ・わたし」の純度が上がります。
ほとんどの聴衆は「ハムレット」や「忠臣蔵」の筋を知りたくて劇場に足を運ぶではなく、モーツアルトやベートーベンの曲を知りたくてコンサートに行くのではないでしょう。それらをどういう演出や創意工夫で「今」演じるのかに興味が向かいます。そして、生の演者の息づかい・存在感、作者・演出家・スタッフと思いを共有・共感したいのです。聴衆も演者も作者も演出も今・ここで生きているという尊い共通項を持っています。場を共有し、沈黙を共有し、人が自然に発するノイズを共有します。
その上で、そこに物語があったり、作品があったり、演出があったりするわけです。台詞を言い、演出に従い、楽譜を読み、という行為は、物語や作品のためにあると同時に、演者の表現の道具としても存在しています。演者のリアリティは時に書かれた脚本や物語の筋を凌駕してしまいます。しかし、演者がいくら工夫しても太刀打ちできない作品の強度というものも存在するのです。
片一方だけではなく、そのせめぎ合いこそが演奏を、演技を生き生きとさせるものなのでしょう。
どうしても自分のことを優先すると即興に行ったり、オリジナル作品の表現に向かったりし、作品を優先すると一切の即興を認めないという方向にも行きます。
大事なことは、なにを求めているかの同意・合意であって、生きる志で有り、即興か作品かの選択ではありません。
長々書きましたが、昨日の演奏・うたは、そのせめぎ合いがとても良い純度と加速度をもって行われたのだと感じました。
そこには1年という時間が必要だったり、メンバー間のさまざまな共同作業が良い作用を与えていたり、相性の良さと言うこともあったでしょう。ともかく、自然に全員が一つの方向へ向かい、流れに乗り、聴衆・スタッフが気を送り、うたに導かれて「夢のように」過ぎていったのだと思います。
貴重な時間でした。ありがとうございました。