「今日は私の日」さとうじゅんこ編 終了しました。
バッハ、プーランク、ピアソラ、ペルゴレージ、ファリャ、徹、などなど多岐にわたるレパートリーでした。(ハ行が多いね。)私は、影のテーマとしてサクリファイスとメメントモリを見いだしていました。
プログラムにも書きましたがじゅんこさんは年始に声を奪われました。タルコフスキーの「サクリファイス」では、声を奪われた息子が最後には声を取り戻します。核戦争勃発後の主人公はおしゃべり・家族・家などをサクリファイスすることを誓い我が家を焼きます。その時の音楽が海童道の大菩薩。全体のテーマになる音楽がマタイ受難曲でした。
しばらくして、声を取り戻したじゅんこさんが参加したのが「ケ・プレセーーーーール」と題したタンゴでした。オペリータ「うたをさがして」後、オリヴィエ・マヌーリ、喜多直毅、私、さとうじゅんこで何回か演奏しました。オリヴィエが親友オラシオ・フェレールと交わした合言葉が「ケ・プラセーーーーール」「なんて、楽しいんだ!」。あろうことか、そのオラシオ・フェレールさんがつい数日前に亡くなりました。じゅんこさんは、なんの因果か、オラシオさん作詞ピアソラ作曲の「ロコへのバラード」を今回のレパートリーに加えていました。最後の部分では翻訳をしてくれた高際裕哉さんの発案もあり、「ケ・プラセーーーーール」と叫びました。
裕哉さんとはメキシコ・シティで会いました。野村喜和夫さんとメキシコの現代詩祭に参加したときに領事館か大使館から私たちのアテンドに来てくれました。ティオティアカン、フリーダの家、ディエゴとフリーダの披露宴のレストランとかに連れて行ってくれました。熱い漢です。彼の東京外語大学での友人 山下惠里さんが紹介してくれたのが庄崎隆志さんなのです。大きく繋がり曼荼羅のような人の輪!
実は、かつて、じゅんこさんが声を奪われたことがもう一度ありました。デュオで東北の被災地・避難所などを巡るはずでした。私が一人で行くことになり、忘れがたき経験をしました。その経験こそが、私の「うた」作りの直接の動機になり、私に試練ときっかけを与えてくれ、もちろんじゅんこさんが最初に歌ってくれ、CD録音をし、最終的にオペリータ「うたをさがして」へ繋がっていったのです。
「シャコンヌ」は、バッハの奥様への追悼曲だという説に基づき、直毅さん、じゅんこさん、私の三重奏でシャコンヌを演奏。お二人には多大な努力をして頂きました。私が出会う前、直毅さんは大きなサクリファイスを済ませていました。その結果、音楽のみが彼の元に残されました。その音は尊く、人々を魅了して止みません。彼の音楽は、もはや彼の個人の所有物では無くなっているのです。多くの人々が必要としているものです。
テネブレ:蝋燭を吹き消すことから始まる暗闇の儀式と同名のパウル・ツェランの詩の朗読。この時は、2本の蝋燭を用意して、竜太郎さんと私が消すところからじゅんこさんの朗読が始まり、暗闇の中、竜太郎さんは踊り、音はBWV4番のフレーズを元に即興をしました。このBWV277(死に打ち勝てるものは誰もいなかった、Mルターのコラール、キリストは死の縄目につながれた)とシャコンヌのBWV1004が共通するというのが説の元にもなっています。
テネブレの和訳でも何通りもの例があり、どれを採用するか、考えていく過程もたいへん勉強になりました。「祈りなさい、主よ 私たちは近くに居ます」のフレーズは私も直毅さんもルツ子さんも声に出しました。
竜太郎さんはあくまでもポジティブに踊ります。しかしそのポジティブさ、明るさを支えるものは仕事場での「いじめ」や「悪口」や生きる「不安」だったりするのです。みんなを楽しまそうとしているのではなく、生きるためのダンスなのです。演者にとっても聴衆にとっても、知らず知らずに「エンターテイメント」に慣れてしまっている関係に「待った」をかけてくれています。
ミーム(文化遺伝子)というものが存在するならば、彼の「即興」ダンスが顕すものには多くの示唆を含んでいます。「竜ちゃん、よくやったよ、成長したね!」どころではなく、訳知りの保護者面をしていようものなら、一気に追い抜かれてしまっていることも大いにあるのです。
千恵さんと私の曲「石のように」は、つい最近、ポレポレ坐で忘れられない想い出があります。マレーシアの伝統音楽家カムルル・フシンさんとじゅんこさんとこの曲を演奏しました。カムルルさんには「福島」のことが動機になっている歌詞だと説明しました。ギリシャ旋法の中の「リディアン旋法」を元に書いたこの曲をじゅんこさん・カムルルさんが掛け合いのように演奏を繰り返していきました。だんだんと高揚してきて、カムルルさんが突然演奏を中断。どうしたのかとみると、大粒の涙をながして演奏を続けることが出来なくなってしまいました。
おなじく千恵さんと私の「星がまたたく」は千恵さんが岡野伊都子さんの訃報に接した際にできた詩です。
クルト・ヴァイルの「プロローグ」は「七つの大罪」からの選曲。人の世の七つの罪を歌っていくものです。「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、「嫉妬」すべていちいち思い当たりますね〜。何のために「生きる」か、は何のために「死ぬ」かと同意なはずであることの気づき。
熊坂路得子さんは、おっかないオジサン・おねえさんにかこまれてさぞや緊張したことでしょう。睡眠時間を削って練習をしてきたのだそうです。最初のリハーサルの段階で譜面もきれいに整理されていて、いつでも本番OK状態でした。そして、リハでも本番でも実に見事に演奏をしました。
自分の技術や音楽を披露して「受け」ようとする野心は一切無し。音楽に身を投げ出してしまうという勇気(狂気?)を当たり前のように持っています。「効果」など関係なし、常に音楽の直球ど真ん中。少女のようなルックスとのギャップに惑わされてはイケマセン。
小林裕児さんの女子美での学生さんで、裕児さんと私のLIVEペインティングを学生の頃、手伝ったこともあるということです。縁ですね。さらに聞くと、初めは音楽を志し、ちょっと違うな〜と思って、美術に、それもちょっと違うな〜と思って音楽に戻ったそうです。
止みがたい表現への狂おしい情熱が方法(出口)を求めて、音楽〜美術と揺れ動いたのでしょう。しかし、表したい実体(鬼)は全く変わりません。ありきたりの音楽にも美術にも入りきれない巨大なものなのでしょうが、必ずや、彼女ならではの形式を見つけるでしょう。彼女も表現を「止める」ことができないファド(宿命)の持ち主なのです。どんな方法を見つけるのか、楽しみですね。
じゅんこさん、直毅さん、竜太郎さん、路得子さん、彼らの抜き差しならない音楽やダンスにポレポレの空間は、メメントモリ、サクリファイスの感覚と共に、大いなる祝祭感覚に溢れました。5年間続けてきたポレポレ坐徹の部屋の大きな成果だと胸を張っております。
客席は、小林裕児さん・岩下徹さん・かみむら泰一さん・田辺和弘さん・村上洋司さんたち共演仲間の気持ちが集合し、すばらしい空間が出来ていました。フツーの拍手では無い感じでした。
「今・ここ・私たち」の度合いが高くなればなるほど、「今」でもない、「ここ」でもない、「私たち」でもない普遍への道が拓けるのでしょう。
座長、佐藤純子(歌)ではなく、さとうじゅんこ(うた)さん。ご苦労様でした。ありがとうございました!次回徹の部屋は2月12日「オペリータうたをさがしてCD,DVD出版記念」そして次々回は「今日は私の日」直毅編でしょうね。出し物は?・・直毅さんの最近のブログにヒントが・・・
プログラムに載せた文
2つのケーキ
じゅんこさんは「うた」に選ばれてしまいました。本人の意志をはるかに越えて、うたうというファド(宿命)に従うだけです。
その宿命は無情にも幾多の犠牲(サクリファイス)を課します。声を奪われた年頭の誕生日、じゅんこさんは待ち焦がれた舞台ではなく客席で迎えました。楽屋にはケーキが用意されていました。そして年末の本日、「今日は私の日」として2つ目のケーキが待っています。これでやっと1年の試練が終わるのでしょうか。使命と志が高ければ高いほど、試練もまた厳しいのです。
内包する雑音が深いほど静寂は冴え渡ります。この試練を乗り越えると「うた」は、きっと、あらたな課題を用意するのでしょう。でも、「今日はじゅんこの日」ですので、お許し願って、じゅんこさんを通して出てくる「うた」を皆さまと共に楽しみ味わい踊りましょう! (齋藤徹)
後記
アンコールで演奏した「今日は私の日」でじゅんこさん、りょうたろうさんが聴衆から一緒に踊る人を募りました。何人も参加してくれました。その中のおひとりは翌日入籍ということでした!おめでとう!