夕暮れのショーロと即興

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エアジンでのショーロと即興withかみむら泰一さん。ピシンギーニャ・ラセルダの豊かさを痛感、日曜の秋の夕方にピッタリでした。即興は泰一さんのオリジナル「縄文」からピシンギーニャの「Cheguei」へ至る、という事だけ決めました。やっぱり前半のショーロが身体にもエアジンにも残っていて最後にピシンギーニャで終わったのはとても自然でした。最後の方では、ロリンズのようなテナーサックスのブロウ(「Don’t Stop the carnival」)みたいになりました。それでいいのだ!

 

即興と他のジャンルとやることの意味・大変さもあります。それぞれが問われることになります。何回も言うことですが、即興の反語は「作品」ではありません。逆もまた真。即興と言って自分にお馴染みの音響や音型を使う事こそ即興の反語です。即ち、即興の反語は「日常」「思い込み」「耽溺」「常識」「あたりまえ」「自分自身」。

 

ニッポン「即興ムラ」に住まないためにも、ニッポン「ブラジルムラ」に住まないためにも、ニッポン「日本ムラ」に住まないためにもね。いくつもやったショーロの始まりは、「笑顔」を合図に始めました。これは思った以上にスバラシイ効果がありました。「ちゃんと演奏しよう」「良い演奏をしよう」という「あたりまえ」からずれることができます。

 

ー分かち合いや演奏の歓びのために生まれたショーロの恩恵を感じます。現代日本にもそういう音楽が必要です。なんて言っているヒマがあったら、自分で作らなくっちゃね。かといって、ショーロだけを演奏して「私の音楽です」と堂々と胸を張っていられる状況でもありません。そのためにはもっともっとショーロを身体に入れて(最低暗譜!)自分なりの形に変容させねば・・・なんて言ったらもうオリジナルとあまり変わらないわけで・・・。やっぱりオリジナルを目指す方向の試行錯誤なのでしょう。

 

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