カムルルさんの涙
私は長い間、「涙」を感情の最高の発露とする考えをかたくなに拒絶してきました。「感動して涙が出ました」というのを、聖域のように扱うことに「?」を持っていました。人一倍クールなためでなく、人一倍涙もろいので、自らの戒めとしてきた節があります。
涙が出る発端は魂が揺すぶられたからでしょうが、その後は、えてして「涙が出るくらい感動している自分に感動している」だけだったりするからです。もうそこでストップしているわけです。
表現に関わる以上、そのあたりで満足していたら危ないわけです。そこが出発点でこそあれ、目的ではないはずです。涙を信じたいために、涙を疑う、ということかもしれません。
カムルルさん@ポレポレ坐では、そういう態度を揺るがすような場面がありました。前半のマレー伝統ものでは大いに飛ばしまくって聴衆とのコミュニケーションもバッチリ、本人もいたく満足げでした。後半は、じゅんこさんと私の提案で、オペリータ「うたをさがして」から3曲を選びカムルルさんに参加していただきました。
前半でマレー伝統音楽のエッセンスを伝えることが出来ているので、カムルルさんは満足の様子、じゅんこさんと私は己の責任を果たすことができた安堵感でいっぱいでした。気がつこうが、つくまいが、後半は三人ともまさに「いま・ここ・わたし」を問いかける特別な時間になっていたのです。
前半でハハ〜ンと納得したことがあります。前日のリハーサルは通過儀礼だったのです。相手を確かめるための様々な演奏が繰り広げられました。所謂「演奏」的に凄い部分が何度も何度も訪れました。(日本の)聴衆にはこういう熱さが受け入れられるのだろうな、と思っていました。が、しかし、本番ではそういう丁々発止の演奏のやりとりはあまり出ずに、もっぱら聴衆とのコミュニケーション、場作りに多くの時間とエネルギーが使われました。あのリハーサルでの激しい共演は、共演者としての信頼を得るための通過儀礼だったのです。聴衆とはまた別の次元のコミュニケーションが必要なのです。
「舟唄」の出航にあわせたスルナイは、旅の出航の期待と歓びと不安のワクワク感に溢れていました。韓国シャーマンのドン金石出さんの録音に多く関わった森田純一さんも客席にいらっしゃっていて、やはり、「ソクチュルをおもいだしましたね〜〜」と言っていました。ダブルリードも循環呼吸も一緒です。「夕影させば」の太鼓も東海岸巫族を彷彿とさせます。終盤のルバーブでの即興的な逸脱した演奏は、昨今の「即興演奏家」の引き出しにしまってあるものが当たり前のように出てきました。
そして「石のように」。私が強く惹かれるリディアン旋法で書いた曲です。長調・短調の二分法でスケールをわけてしまう乱暴にずっと納得いかなかった私があるとき発見し、育んできた旋法で、何曲もシリーズ的にあります。
この曲はもともと、歌手のうたうフレーズに楽器が答えていくという形式をとっていました。今回は、じゅんこさんの歌うフレーズにカムルルさんがルバーブで基音を弾きながら歌で交感するという方法を取りました。前日のリハーサルで、カムルルさんは、哀しい哀しいとおっしゃっていたので、このオペリータが直接的にはフクシマの出来事に由来していることを伝えました。
じゅんこさんの問いかけ、3台のシュルティボックスの倍音がうねり、リディアン旋法のことなどはたぶんご存じないであろうカムルルさんが自在に歌で答えていきます。その歌が交替を繰り返すに従ってだんだんと上昇していきます。最後のフレーズをじゅんこさんがうたうと、カムルルさんも長く答えていきます、「どこまでいくのだろう?」と思っていたところ急に声が聞こえなくなりました。見るとカムルルさんが大粒の涙を隠さずに泣き崩れてしまい、演奏続行不可になりました。
本当に身を投げ出している姿を見て感動しました。私はこういうことを忘れているな〜と、反省。それは竜太郎さんにも教えていただくことです。客観的でなければならないのだ、と段取りばかり考えている自分を猛省せざるを得ません。
演奏者・スタッフ・聴衆全員が気を取り直し最後の「月の凧」です。カムルルさんも「石のように」から「月の凧」は必然的に繋がると思っていたと言うことで、希望を託した祝祭になりました。哀しみを哀しいと歌うことを越えるのです。
ベトナムのハックメオ(指鈴)を前列にいる聴衆にもお渡しし、スーパームーンに向かって凧をはためかせ、みんなで鈴を鳴らしました。夢のような時間でした。おそらくこの場に居た全ての人が一つになり、皮肉っぽい感覚はどこか遠くへ飛んでいったはずです。
アンコールはもう「ザ・お祭り」でした。聴衆の中から顔見知りのガムラン仲間を呼び出してみんなで祝宴がはてしなく続きました。
帰途、運転中、長年重く感じていた右肩が軽くなったのをふと発見しました。カムルルさんの音楽治療だったのですね。トレマカシ〜。バグース。