3ヶ月の顛末

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先日エアジンに追悼演奏に行きました。どうにもこうにも、こういう機会が増えています。音楽の本来の役割と覚悟して心を込めて演奏します。今日の話は音楽ではありません。この時、その場に居たほとんどが私に話しかけてくれません。しばらくして気付いたのが私が20㎏減量したので、相当な重病と思い、話しかけるのを控えたようだったのです。なにしろ30年間ほとんど変わらず、その20㎏を身につけていて3ヶ月でこうなったのですから。

 

顛末をお話しし、誤解を解いた方が良さそうです。

 

(なぜか人が話しかけてくれないという似たような経験がありました。我が娘を楽器運搬などの手伝いに連れていった時、皆が、娘を私の「愛人」と思いこみ、話しかけるのを控えていたのと似ていますね。ハハハ。)

 

今思い返すと、スコダニビオさんの追悼盤を録音していたときが初めの徴候だったようです。なにしろ煩瑣な録音でしかも時間が押して押しています。7時間過ぎたころはもうノンストップでやるしかありませんでした。その時、ボーッとしたのが始まりだったかも知れません。外は雪でした。

すぐにジャンさんが来日。日常がどうも疲れる、毎回楽しみだったジャンさん体操にジャンさんを送り届けるのですが、参加できずに部屋の隅で寝ていました。体力無いな~と反省ばかり。日常的に「疲れて」いるので、この疲れを特別のものと思わなかったのです。

 

ジャンさんと北海道へ。毎日毎日刺激的な事が起こり、頭の興奮が身体を引っ張っていたのでしょう。予定の仕事は着々と進んでいきました。そういえば腿と首が細くなってきたな~加齢によるのだろうな、まあ良い傾向でしょう、と思っていました。「音と身体のワークショップ」を旭川のモケラモケラでやった時、Hさん(アスベスト館で私が講師をしていたときの生徒さんで、その時のノートを持っていらっしゃいました。)のお子さんが1型糖尿病だったので、まさかとは思いますがと、その疑いを投げかけてくれました。そんなことはあるまいと高をくくっていましたが、その言葉がひっかかり、同病の兄弟のすすめも有りすぐに病院で検査。

 

 

「尿にケトンが出ています。緊急・重篤です。このままだと失明、手足切除ということになります。看護師から皮下注射の指導を受けて下さい、次の食事から毎食前に3回インシュリン注射、毎日2回血糖値検査をしてください。その指導が終わったら至急眼科へ行って下さい」ときつく言われました。あれよ、あれよ、えっえっえっという間でした。HbA1c(ヘモグロビンA1c)は12を越え、血糖値は300近い。(正常は4~5、100前後)。検査だけと行った病院であっと言う間に「立派な」糖尿病になってしまいました。入院がなかっただけラッキーと思うほどでした。突発性難聴の時はそのまま入院でした・・・

 

 

や~っと音楽が少し分かってきて、世の中がすこ~し分かってきて、人間関係もなんとなくできるようになり、さあ、これからと言う時でしたので、「なんとか、あと10年はやらせてくれ~~」との思いでした。ネットや書籍を読みあさり、一つの判断を下しました。「炭水化物制限」です。

 

ともかくご飯・パン・麺・糖質をとらない、というだけ。おかずだけと思えば想像できます。うどん玉一つで角砂糖14個分の糖分だというような写真付きサイトにはビックリでした。ともかく信じてやる、と決めました。厚生労働省認定の栄養士さんの説明ではカロリー制限が厳しく、ご飯も食べた方が良い、とかかなり異なっています。

 

痛風の時より断然楽なのが、肉・魚・野菜・脂分など好きなだけ食べて良いこと、そしてアルコールもワイン・焼酎・ウイスキーならなんでもOKということでした。日本酒はNG。日本酒が分かってきたばかりだったのでこれは残念。即座にオモシロいほど身体が変わってきました。

 

お茶もいろいろ試しました。ヨモギ茶・スギナ茶・桑の葉茶・桑の葉青汁。

 

そして、歩く。始めた頃はのんびり「散歩」と言っていましたが、そのうち、呼吸法の試し、肩・首・腕の運動を取り入れ、40年ぶりでジャージを買ったり、シューズを選び、インソールを工夫し、コースを決め、飲料補給のためのペットボトルホルダーを工夫、夜の安全のためにライトを求め、梅雨対策で合羽・防水のシューズも用意、途中にある鉄棒でも30秒ずつぶら下がり、日よけの帽子も・・と言うように「男子の遊び」のようになってきました。散歩がウオーキングになり、トレーニングになりました。

 

最近は、突発性難聴も治してやろうという考えになり、顎関節調整・耳への直接マッサージも加えています。これが治ったらそれはそれはそれはそれは革命です。本でも書いてやります。免疫学者・阿保徹さんの講演の中で「痛風も、突発性難聴も、糖尿病も心の病なのです」というところがあって、ビックリ、私はその三つすべて総合商社のように揃えていました。それから推論すると難聴も治る?

 

どうしても時間が取れないときは、駅を二つ三つ前で降りたり、なるべく遠回りをして帰るとか工夫します。もう、生活の中心になってきました。楽器に触れない日があっても歩かない日は無いわけです。以前は「傲慢」だったな~などと思います。

 

入院していると思えば、牢屋に入れられていると思えば、大概のことはできるはずです。イノチガケです。一生ほかほかのご飯が食べられなくても、仕事をすることを躊躇無く選びます。

 

歩くことが出来る身体であること、時間を作ることが出来ること、食事制限ができることなどへの感謝を忘れてはイケマセン。

 

紫陽花のころ始め、クチナシを経て、いまは蝉時雨とサルスベリです。来年の4月には桜並木だ、と今から楽しみにしています。決してiPodで音楽は聴きません。折角なのですから、五感を開いていないとと思います。毎日いろいろと発見があります。

 

「音楽の憎しみ」ではないですが、音楽は人を「考えなく」させる力があります。アスリート達が試合の前にこぞって音楽を聴いているのは考えなくさせるためでしょう。イヤホーンで音楽を聴き、帽子やサングラスで視野を狭め、一心不乱に走ったり歩いたりする人達の中には横柄で傲慢な人が多いようです。自分の進むコースを変えようとしないし、信号無視したり、どけどけとばかりに追い抜いていったり。結局、「効率」しか考えていないようです。どれだけ短時間にどれだけ早く・・・これは受験から出世を貫く日本の大きな大きな欠点でしょう。ともかく損をしたくない、すこしでも得をしたい・・・。それが今の日本の政治・社会の混乱と低迷を導いている・・・イカン、横道にそれました。

 

ともかく1ヶ月後の検診でHbA1cが9に下がり体重が10㎏減。担当医もナースもビックリ。眼科でも、「あんまり急に数値が下がるのはよくない」とのこと。ん? お医者さま達は数値ばかり見ていて、目の前にいる私を見てくれていないのかな~。本気で病気を克服しようとしている目の前のか弱き人間を分かって欲しい~。

 

どうだい?と言わんばかりに2ヶ月半目の検診へ(もちろん歩いて行きました)。検診時に採血するので、結果がでるのはまだ先と思っていましたが、担当医は糖尿病専門医として著名な方だったので数多くの症例を見てきているのでしょうか、「よくやりました。驚きました。自力で治しましたね。インシュリン注射の残りももったいないけど、もう止めましょう。」

 

嬉しかった。あと10年は仕事できる。感謝感謝感謝。責任責任責任。歓び歓び歓び。謙虚謙虚謙虚。

 

以上が顛末です。これが「末」として済むようにせねばなりません。

どうぞお気軽に話しかけてください。

同病の御仁にも、私の経験談なら相談にも乗れるかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2 Comments

  1. 札幌@澁谷です。

    1型だったのですか。
    だけど、インシュリン注射が必要なくなるなんて、すごいですね。

    村上龍の「心はあなたのもとに」という小説は、1型の女性との物語です。
    わたしは、涙しました。

    本を読んで泣いたのは初めてかな。
    しかも、村上龍ですよ。

    再会を楽しみにしています。

  2. いやいや、典型的なⅡ型でした。生活習慣病・成人病でした。
    1型の患者さんの苦労は想像に絶します。高血糖よりも低血糖時の方が危険ということです。
    私も初日にグルコースを携帯するようにと言われ、倒れたら分かるように糖尿病手帳を携帯するよう言われました。
    大変なことになった!と思ったものです。
    いずれにせよ、治らない病気・怪我・障がいをもっている人は大変です。
    何%の割合いで存在とか聞くと、ある意味、健常者の代わりをしてくれているとも考えられますね。

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