セバスチャンと私

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齋藤徹とセバスチャン・グラム

初めて会ったのは、私がORT(独ブッパタールのスペース、ペーター・コヴァルトの元住居スタジオ)のレジデンスをしていた時(2010年)。 1ヶ月の滞在中にドンドンとセッションが増えていき、ペーター・ジャックミン、セバスチャン・グラムとのベーストリオが組まれました。ジャックミンは翌日から海外へ行くという日になんとか都合をつけベルギーから、セバスチャンはケルンから楽器を2台もってきてくれました。

 

彫刻家として著名なジャックミンさんはまさにコヴァルトさんの直系、音楽スタイルも生き方もよく似ています。開始10秒で最速になって、もう顔は真っ赤になってゴリゴリ弾き、ホーミーを唸っています。セバスチャンはいつも微笑みながら確実な音を出していきました。ジャン・サスポータスの3歳の息子が何回もステージに上がってこようとしました。遊び感覚に溢れていたのでしょう。セバスチャンと私は何か共通するものを感じたので、滞在中にデュオの機会も作りました。

 

 

翌年、またORTで会いました。ジャン・サスポータスさんの「Looking for KENJI」(3月11日地震1周年の日に公演)のために滞在していた喜多直毅(vl.)と私のためにセッションを組んでくれたのです。セバスチャンはすぐに中米へ行くという忙しいときでしたが、来てくれました。

 

 

3回目はケルンでのベース50台による一大イヴェントでした。私はドレスデンから飛行機と列車を乗り継いでコンサートの日にケルンに着きました。バール・フィリップスも来ています。45人はずっとリハーサルを重ねてきていました。バールや私など5人はソリストという扱いで簡単な指示でソロを演奏するという形式です。録音・録画も含めたリハーサルをやって、直ぐに本番でした。その晩は彼の家にバールと共にやっかいになりました。CD「BassMasse」gligg record DVDも準備中。

 

4回目はデュオツアー、私はルーマニアのシビウからミュンヘンへ移動、ミュンヘンでバール・フィリップスとセバスチャン、私のトリオでした。その前の日までバールとセバスチャンはデュオでツアー、この次の日から引き継いだ形で私とセバスチャンのデュオツアーでした。

 

5回目は直接ではなく、録音でした。急逝したベーシスト、ステファノ・スコダニビオさんの追悼CDをだしたいから協力して欲しいというプロジェクト。世界中11名のコントラバス奏者がそれぞれセバスチャンの譜面を録音して彼が編集するというもの。60ページにもなる譜面は難解を究めました。ストップウォッチとヘッドフォーンからの音などを参考に細かい指示満載。全体像が見えない中の録音はどんなに想像力を働かせても難しく、セバスチャンを信じてやるしかありません。みんな7~10時間以上かかったそうです。先日ミックスが送られてきました。ビックリの出来です。スコダニビオさんの誕生日(6月18日)にWERGOから出ます。私としても大変誇らしいことです。(ことしのメールスフェスティバルが6回目になりそうだったのですが、私の旅費が出ずに断念。)

 

 

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