韓国に対する言説には、右翼も左翼もかたくなな感じを受け続けています。何も進展しない。日本のマスメディアが信じられないことはもはや常識。一方、映画・音楽の韓流スターのおかげで一般の人達がその傾向をあっと言う間に流れを変える事を示しました。(裏にどんな政治やお金が絡んでいるかは不問にします。)私が40年前に大学で韓国語を少し習った頃はろくな辞書さえありませんでしたが、昨今の韓国語学習は本・ネット・TV・ラジオ豊富で何一つ不自由しないでしょうし、フツーの「おばちゃん」達が競って習っていました。(最近は政治の影響でまた変わっているのかもしれませんね。)
私の中でずっと分からないこと、それは韓国の「反日感情」の実際でした。とてもナイーブな問題なので誰にどう聞けばいいのか全く分かりません。日の丸を燃やす、慰安婦像、竹島・独島のキャンペーンなどは眼に入ってきますので、ぼんやりと「教育や政治利用によって日本がキライなんだろうな」と思っていました。一方、それは、日本でのヘイトスピーチの報道と鏡になっていて、実際とは違うのではと言う希望も多少ありました。昨年のユーラシアンエコーズ第2章コンサートの「成功」も希望の一縷でした。
今回は大変優秀な方が通訳で付いてくれたので、率直に話すことが出来ました。その方は大阪生まれで最近結婚してソウルに住んでいますので、より客観的に分析できます。
今回のコンサートで象徴的なことがありました。初日終演後、舞台袖に引っ込んだ直後に、客席で大声で怒鳴っている声が聞こえました。もちろん何を言っているのか分かりません。一恵さんと私は疑心暗鬼で「私たちに対する批難をしているのではないか」という感情に囚われました。なにしろこの政治状況+韓国国立劇場であること+「ここ・私たちの音楽がある」という催しだったこともあります。翌日おそるおそる通訳さんに聞くと、コンサート中に携帯電話で撮影をしている人がいて、その光でコンサートを楽しむことが阻害されたと怒っていた、ということ。ホッと胸をなで下ろしました。
通訳さんは、韓国の若い世代はもう反日感情などには囚われていない、かえって日本の嫌韓感情の方が強いかも知れない、という意見でした。目から鱗の話でした。
昨日の投稿のチャン・ジェ・ヒョさんの「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」企画の大きな視点(アジア・南米・アフリカ)は、注目ですね。
先日も書きましたが、共演したミュージシャンは、熟達度の差はありますが、英語・日本語を話します。そしていろいろな物事について、ちゃんとした意見を話します。振り返って日本を思うと ムムム・・不安になります。
たとえば10年後(あるいは5年後)に両国間に大きな変化(チャンス)が起きたときに、韓国側は人的・精神的・コミュニケーションでの準備できていて、日本側が多方面で著しく遅れているという状況になるのではないかと危惧します。
ユーラシアンエコーズ第1章・第2章に出演してくれた元一さんは今回のコンサートの時は、ヨーロッパへ演奏旅行中でしたし、許胤晶さんはやはりヨーロッパから帰ってきたばかりでした。ヨーロッパの肥えた耳が韓国の音を求めているのでしょう。面倒な日本はもう置き去りなのかも知れません。そういえば私自身が南貞鎬さんの仕事で2回ヨーロッパへ行っています。
ECMもソウルを重視、チョン・ミュン・フンもECMアドバイザーになり、韓国伝統音楽雑誌にもアイヒャーの記事が載り、アジアにおけるドイツ文化会館のセンターが東京からソウルへ移動(50周年記念なのに)。
世の中の流れなのでしょう。それとは別に、私たちは私たちにしかできない仕事を粛々とやっていくしかないっしょ。
韓国の底力を表す象徴的なことは、「詩」です。詩が生きていることです。(すなわち言葉が生きている、言葉を信じている、すなわち人を人生を信じている。)書店の重要なコーナーに詩が山積みにされている韓国。日本の中小書店から詩のコーナーが消えて久しいですね。打ち上げの宴で通訳さんのご主人(KOUS芸術監督)もコンサートにとても感激してくれ、途中で立ち上がり全員に話を始めました。それが本当に「詩」でした。一恵さんが伝統の中から新しい道を進んでいくようすを讃え、私は舟に乗って旅をする音だ、そうだゴンドラ、ゴンドラバス、今後100名の言論人と出会い旅を続けてくれ、と檄を飛ばしてくれました。
いにしえの中国で詩人・音楽家が酒を呑みかわし 詩を詠み 意見を交換し、談論風発、楽器を演奏し、歌を歌う、そんなことを思い起こさせました。
それは、メキシコシティでも同じでした。野村喜和男さんと詩祭に参加したのですが、ディエゴ・リベラ達の壁画のある建物の向かいに大きな書店があり(生前のガルシア・マルケスもよく見かけられたそうです。)詩のコーナーが充実。時に老人が詩集を手に取り朗読をはじめることもあるといいます。GNP(国民総生産 Gross National Product)は低くともGNH(国民総幸福感 Gross National Happiness)は高い、日本と反比例。
日本よ、プレパランセ(準備は良いか?)
準備するには実はお金はかかりません。お金がかからないことは社会にとって恐怖なのです。テレビを切って、自分の目と耳と鼻と皮膚と頭と手足を使えば良いだけです。